なんもわからん

さっき作った

2023年のオタクはまったやつ振り返り

横になってたら年明けたどころかもう正月も終わってしまった…。オタクあけおめ~。今年もよろしくぽよ~。
今年もやります(もう去年だが?)。

2022年のはこれ。
maisankawaii.hatenablog.com

プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク

去年の振り返りでも書いたけど流石に今年も書こうかな、セガとカラフルパレットのソシャゲです。
去年シナリオですごいことやってますよみたいな話したんだけどマジですごいことやってて腰抜けてしまった。
www.youtube.com

この話死ぬほどしてる気がするんですけどプロセカのイベントストーリーって基本全部他のゲームでいうメインストーリーなんですよね(一応キーストーリーとそれ以外という区別はあるけどキーストーリー以外のイベントも普通に重要なので…)。なので更新のたびにガンガン根幹部分の話が進んでいく。
2周年までのプロセカってまあどちらかといえば、「私と音楽」「私たちと音楽」「音楽によって救われる私」みたいな超内向の話が続いてきたわけなんだけど、この中で3周年にかけて話の焦点が今まではサブ的な位置づけだった「私たちが音楽でやってきたこと」「私たちが音楽でできること」「プロになることの厳しさ」「プロとしての音楽」の話に一気に踏み込んで『他人・世界中を巻き込む・変えていく難しさ』の話になってきたのがかなりヤバかった…とは思いつつ初期の方向性の方が得意ジャンルではあったな…。
とはいえこの変遷は本当に何年もかけてキャラクターと歩んできたソシャゲならではのストーリーで、ここまで何年もためてきたの昇華と爆発だったなという感触がありました。
プロセカってやっぱりボカロ文化のゲームで、ボカロ文化の持つ「視聴者から発信者へ、そしてプロへ」という要素へのリスペクトがおそらくあって、それを作品内で描こうとしてるんだなあみたいなメタ的な興奮がありますよ。
コンテンツとしても積極的に公募で投稿された楽曲や衣装をガンガンゲームに取り入れてますからね。
更新頻度もゲーム内外コンテンツも盛り上がりすぎててパワフル…。2023年はすげえ曲が生まれまくってた気がします。

ストーリーがすごすぎるけどあまりにもストーリーの話してるオタクが少ない!!オタク向けなのにオタクに届いてない!!ストーリーが難解というか複雑すぎてプレイヤーに全然届いてないだろ!!もっとちゃんと読め!!あとオタクはプロセカやれ!ってずっと騒いでたんだけどまあ騒ぐだけもなんだしな…ということで2月から9月くらいまでのストーリーを読解しながら感想書くみたいな記事をずっと上げてました。
書きたい感想が多すぎてSNSに投稿するには文字数が足りねえ!
こーれがめっちゃ楽しかった。プロセカのストーリー更新って月3本あるし1本が普通に読むのに1時間以上かかるのもざらみたいなテキストのボリューム感なので相当頑張ったと思います(自画自賛)。

20本以上だらだら記事書いたわけだけど個人的に一番良い記事かなって思ってるのはこれかな。
maisankawaii.hatenablog.com
自分では書いたときそんなでもなかったけどこの記事褒められてて読み直したらめっちゃ筆が乗ってる感あってワロタ。
人の輪から外れた人間の話してるときが一番楽しい…(最悪)。

ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP

4月に始まった全四話のWebアニメ、ウマ娘RTTTです。
www.youtube.com

いや~私がずっと見たかったウマ娘のアニメというしかない。
人生に一度しかないクラシックというレースに人生の全てをかける走者とそれに想いを託す観客の執念、熱をこれでもかと言わんばかりの盛り盛りの演出で表現してくれました。
ストーリーに関しては個人的にはちょっとごちゃついてた気もしましたがとにかく勝ちてえ…ってテーマ性がシンプルなので細かいところは気にせずレースに没入できるのが良かったですね。

今この記事書きながらレース部分ちょっと見直してたんですが何回も見た2話のダービーでめちゃくちゃ泣いてしまった。ウマ泣き!

個人的にはこのアニメの一番すごいところって音響まわりの演出だったと思っていて、音がすっと消える感じだとか足音だとか衣装から出る音だとかの雑音がレース中しっかり演出として機能してるのがめちゃくちゃ良かったですね。OPオケアレンジの入れ方も毎回マジで良かった。
この辺の音のメリハリはテレビのスピーカーではないWeb配信ならではのイヤホンヘッドホンを前提にした音の使い方なのかも?みたいなこと考えてましたね。メディアの違い!

クラシックをテーマにした作品やる上で全四話ってのもまとまっててかなりよかったですね。Webアニメならではの1クールにこだわらない作品作り、これからもガンガンやる作品が増えていってほしいです。
まあそれはそれとして普通にファングッズとして円盤は手元に欲しいから出してくれないかな…!

スターブロッサムも2023からでしたっけ?アニメ3期もありましたしウマ娘というコンテンツでこれからも面白い作品を沢山作ってほしいですね、RTTTスタッフということで劇場版も楽しみです。

ワールドダイスター

春アニメ…なんだけど1話だけリアタイしたあとほっぽっといて7月くらいにソシャゲの予習がてらまとめて見たやつ。
タカヒロ原案の演劇をテーマにしたアニメです。タカヒロ原案!?って感じだけど静香の設定は昔のゲームっぽさがあったかもしれない。

なんかずっとこの作品の話してるフォロワーおるな…って思ってたけどなんだかんだ私も放送とっくに終わってるのにずっとこの作品の話してるオタクになってしまった。
明らかに万人受けするような作品ではない…というか単純に話がわかりにくい…のだけど演劇にかける情熱の話の中でここなと静香という2人のキャラクターにどんどんフォーカスしていくのが本当に良かったです。
まあ言うほどわかりにくいか?っていうと普通に見ててもすべての要素がオペラ座の怪人という演目に収束していってちゃんと最終話でがっつり盛り上がる感じは伝わるはずで楽しめる作品になっていたと思…いたいがどうかな。
www.youtube.com
公式でこんなPV出してたの知らんかったけど結構いいな…。

で、わかりにくい部分の話をするわけですが、この作品、最後まで見ると全然違う印象になるように作られてるんですよね。
この作品の難しさってまあ設定が伏せられててわかりにくいのが第一で、で、後半で設定がわかったらわかったでようやく劇中劇で何を表現しようとしてるのかがわかってきて、その中でようやくキャラクターの思考やテーマが見えてきてキャラクターがわかるとまた劇中劇がわかってくる…みたいな奥深さなんだけど、この難しさって演劇の面白さそのものだったと思うんですよね。
1回見ただけじゃわからなかった作品の解釈だったり役者の演技だったりが改めて劇を見直すことでもしかしてこういうことか……!?って気付きを得られることがあるみたいなのが演劇の面白さだと思っているので、演劇をテーマにした作品でがっつりそれを劇中劇に盛り込んでやれてるの、なかなか意欲作だったと思います。
まあ、この作品がわかりにくいのって役者の情熱をあんま言葉にしないから伝わりにくいところなんですが、それって結構現実でもそうだよなみたいな感覚はあるかもしれません。舞台の上でだけ感情を他人に伝えるのが演劇で役者みたいなのはあると思いますし…。

ソシャゲの方も結構がっつりやってましたね。こちらは別チームも含めて正直設定とプロットはいいんだけどいまいちテキストが…(巧拙というよりはテキスト量少なすぎて全体的にダイジェストなので…)みたいな感想で…いや全然楽しませてはもらっていたのですがまあ…。

BanG Dream! It's MyGO!!!!!

はいはいはい!私このアニメ大得意です!
というわけでバンドリシリーズの新アニメです。夏放送。
www.youtube.com

私の得意な変な人間の話なわけですが(言い方)、これはマジでリアタイ実況が盛り上がってたね。
結構繊細な話やってたと思うけど、その中でわかりやすいエンタメ的な面白さを繰り出せてたの、剛腕だったね~。

まあこの作品の繊細部分に関しては全話まとめてnoteに記事書いたりもしたので…。
note.com

アニメ『アイドルマスターミリオンライブ!

私は6年くらい前までがっつりミリオンのオタクをやってたわけですが、そのアニメ化ですね。
www.youtube.com

先行上映で一気見しました。
引退しててついていけるかな…?って不安だったけどこのアニメってどう考えてもミリオンライブの1stライブ~4thライブを軸にした要素があって、バリバリ私のやってたミリオンライブの時期のアニメだった。
今は全然知られていないけどライブのクオリティで全てを黙らせてこれからどんどんデカくなっていくんじゃないかと誰もが信じて疑っていなかった初期ミリオンライブの輝きと勢い、いろんなトラブルと障害を全員で乗り越えライブの成功を実現させてきたその無敵感が当時そのまま再現されているアニメで実家でしたね。サ終したゲームの要素もいっぱいあって嬉しかった。
これも当時の気持ちは記事にしてるのでそっちで。
maisankawaii.hatenablog.com
アニメ見たその勢いで福岡行って10thライブも見てきたけど楽しかったね~。昔のオタクと久々にあったけどみんな変わってなくてよかった。

まあどうだろうなあ、地上波で放送されたら大人気になっちまう~とか思ってたけどそんなでもなくて、なんでミリオンライブが世間に見つからないんだ…ってキレ散らかしてた当時の気持ちすら再現されてウケた。

劇場版 ポールプリンセス!!

プリティーシリーズでお馴染みタツノコCG班によるポールダンスを題材にした劇場アニメです。
www.youtube.com
これは本当に圧巻の一言だった。
ストーリーがすごかったとか演出やCGがすごかったとかそういうの全部おいといて、とにかく「ポールダンス」というダンスジャンルの持つ力に魅せられてしまった。
この作品で見たポールダンスの何がすごいって振り付けの表現できる幅がすごかったんですよね。ストーリーを表現するダンスとして完璧に演目が完成されていた。

ダンスプログラム、かっこよさとかかわいさとか技術を魅せるって側面はもちろんあるんですけどやっぱり言語を介さずに「メッセージを表現する芸術」であることが私は一番好きなんですよ。まあこの作品のダンスは歌詞つきですけど…。
だからこそこの作品のダンスで今何を表現しているのか、という作品のキモの部分をわかりやすく言葉にしなかったのは本当にダンスの持つ力に対する信頼ですし、言外に製作側の「ポールダンスというジャンルの可能性を伝えてやる!」というメッセージとポールダンスに対する愛がこれでもかと感じられる作品でした。

この作品も記事書いてるのでそっちで
maisankawaii.hatenablog.com

出会って4光年で合体

まあ流石にこの作品を読んだことは書いておくべきかなということで。
6月に出た太ったおばさん(著者名)によるエロ同人誌です。エロ同人誌!?

出会って4光年で合体(DLSite)
2023年最大の怪作といってもいいのではないでしょうか。ネットでもかなりバズったしね。俺達の太ったおばさん(著者名)がついに認知された…(誰?)。

私が同人というジャンルに一番ハマっていたゼロ年代、その当時がまさに同人界隈でエロと伝奇とSFの融合ジャンルがめちゃくちゃ流行っていた時期なのでエロ同人で同人からこういうジャンル融合が出てくるについては特に驚きはない…と言いたいところではある…いや流石に同人小説や同人ゲームならともかく同人マンガではこんなん今まであってたまるかすごすぎるが…みたいなパワフルな作品でしたね。
どうなんでしょうね、ポルノジャンルでこんなの見たことない!みたいな反応見てるとフィクションポルノオタクとしてはかなり実家の香りのする作品ではありますが…みたいなクソ逆張り老害トークしたくなる作品ではありましたね(しなくていいよ~)。

ま~作品の内容については各自読んでもらうとして(は?)、やっぱすごかったよね、この382ページってボリュームは。ページ数もすごいけど各ページの書き込みも明らかにすごい。
私は常々商業マンガは連載形式がメインなのはカス、短編ではなくがっつり長編を単品で完結できる作品の割合をもっと増やしたらもっと面白い作品が生まれるはず、ほとんどの創作に傾倒した人間が定期連載みたいな社会的行為の中で集中して作品作れるわけないみたいな主張をずっとしてるんですが、ほら見たことかこれめちゃくちゃ面白いじゃんみたいな気持ちにはなったからね。
だからこそなんというか、商業も個人も無料Web連載マンガ全盛期の今だからこそ、このボリュームの作品がWeb連載ではなく最後まで書ききってそれをドーンってDL販売って販路で出してそれが社会に認められたってのが本当に嬉しかったんだよね。
まあこんな売り方そうそうできるもんではないとは思うけど、追従してすごい作品が生まれてくれたらうれしいねえみたいな気持ちです(誰目線?)。

ダイヤモンドの功罪

商業マンガで2023年一番ヤバかった作品っていうとこれじゃないか…?ヤンジャンで始まった怪作です。
スポーツモノって才能の話は切っても切り離せないと思うんだけど、才能がありすぎる主人公をテーマにした作品です。今はやりの最強系!
悪趣味すぎて正直この作品が好きみたいなの全然言いたくないけどとにかく面白いです。

人間が狂わされていく話が読みたい人におすすめ!
マジでこの先どうなっちまうんだ…って読みながら一生言ってます。

鵺の陰陽師

いや鵺…全然この作品すごすぎる!みたいなノリで書いてるわけでもないんだけど好きなんだよね鵺…。というわけでジャンプの新連載。

最初はちょっと変だけどよくある話だな…みたいな感じで読んでたんだけど気が付いたら毎週鵺面白いって言っててビビりました。
ちょっと変っていうかかなり変だよこのマンガ…みたいなことに5話くらいで流石に気が付きました。
同じジャンプでいうと初期のマンキンとかブリーチみたいな変さを感じる…。

まあ変変言ってますけど方向性はめちゃくちゃ王道なんですよね。今のジャンプって結構主人公が大人だったり一歩引いた作品が多いので鵺がすげえ真っすぐに少年漫画らしく熱血主人公してるの一周回って逆に珍しい部類だと思います。
ちゃんとヒロインと王道ラブコメする一面があるのも少年誌ポイントが高いです。
変過ぎて好きなの私だけかもしれん…って思ってたけど掲載順は結構いい感じなので世間にも認められてるようでこれからも頑張ってほしいですね…。

恋と呼ぶには青すぎる

1巻でたの2022年の11月ですが…まあ読んだのは確か2023年なので…。私がめちゃくちゃ好きだった作品、『姉を好きなお姉さんと』の作者の新作…っていっていいのかな、3話までは同人誌の加筆修正らしいですが…。
なんだろうな…Amazonの説明文にガールズラブ作品とは書いてあるんですけどこの作者の描く同性愛ってそういう単純なくくりにはしたくないんですよね…。
男と女とか女と女とかそういうくくりではなく人間と人間の関係はもっと自由であるべきみたいな…。インモラルと対極にあるナチュラルさというか…。

これは前作からずっとやってる要素で作家性だと思うんですけど「付き合う付き合わない」みたいな一般的には2極の要素に対して一般人の中には存在しない第3の選択肢を自然に示すキャラクターがいる作品で、その関係を否定せず受け入れる世界があればいいよね見たいな話がとにかく好きなんですよね。
まあなんだ、とにかく他人の生き方を否定しないのって優しいし美しいよねみたいな…。

言葉にするの難しいから気が向いたら読んでほしいな…と思いつつ相当に人を選ぶ作品だとも思うからな…。
あとめちゃくちゃ飯を食うダウナーなヒロインが好き。(これも前作に同じ要素があるのでヘキ)

朝比奈さんの弁当食べたい

これも2022年のラノベですけど…2023年にコミカライズ連載がはじまった時にみかけて原作小説読んだ感じです。
これはマジで1冊の完成度高くてよかった!
タイトルだけ見てまた変な主人公と変なヒロインがイチャつくだけの○○さん系か~って思ってたら「人に愛されるとは」というテーマをグロテスクに描くかなりロジカルな作品でしたね。
ロジカルすぎて途中でオチ全部読めてたけどそれでもめちゃくちゃ良かったな~、美しいぜ。
やっぱり私はぱっと見狂人がよく見るとロジカルに動いてるのを見るのが一番好きなんだよな。

2巻も読んだけどそっちは正直そんなにだった!(言わなくていい情報)

チュートリアルが始まる前に ボスキャラ達を破滅させない為に俺ができる幾つかの事

カクヨムで連載してるWeb小説です。書籍化済み。
これなんで読みはじめたんだっけな…忘れたけど2023で読んだカクヨム作品の中だとベストかも。

要素としてはゲームの悪役転生で原作知識チートの最強系ってある意味手垢のついたジャンルでやってることも斬新か?って言われるとそうでもない気もするんですがとにかくいろんな描写が上手くて良かったですね。
最強系ってやっぱり無双しちゃうぶんどうしてもノリがやれやれ系になっちゃいがちなんですが、「ゲーム愛」が強く描かれることでかなりパッション系のノリになってるんですよね。
原作ゲームが無理ゲー難易度で敵も最強って前提なのでちゃんと最強vs最強みたいなチートバトルが成立してるのが面白いです。
強さ議論スレで無敵技と無敵技ぶつける概念バトルみたいなのが矢継ぎ早に展開されるし仲間も最強だしすごい勢いでインフレしてくし…。

直近?の天城編のボス戦はめちゃくちゃアツかった。
天城編、しょーもない話ずっとやっててほーんって感じだったんですけどボス戦ではいはいきたきたこれこれってなってしまったのでマジで負けなんですよね。

レバーレスコントローラ

最近よくわかんねえ通販サイトでよくわかんねえ安い薄型レバーレス買いました。
こーれがめちゃくちゃ感触がいい。
まあよくわかんねえサイトで買おうがちゃんとしたとこで買おうが結局基盤とボタンの中身はたぶん同じですからね…。
でもケーブルが無駄に光るのはやめてほしい…。

私は格ゲーをずっとアケコンでやってて、ここ数年はスペースの関係でコントローラに移行してたんですが、コントローラにいまいち馴染めないのと入力飛びが気になる感があって試しにレバーレス買ったろ!って思って買いました。
移行のストレスは全然なかったですね、まあちょいちょい疑似レバーレスとしてキーボードプレイはしてたんでコマンドは出せるかなとは思ってたんですが、すぐに問題なく使えるようになりました。
スト6はレバーレス買ってからちょっとしかやってないのでアレですけどGBVSRはコマンド少ないのもあって全然問題ないですね。
アケコン最近あんま触ってなかったから忘れてたけどやっぱボタン叩くのって楽しいわ!ボタン叩くの最高!左にもボタンがついててお得すぎる!
というわけで最近はGBVSRでボタン叩きまくってます。マジで楽しい…。コントローラ変えただけでめちゃくちゃモチベ上がった。
スト6もちょいちょいやりたいんですがしばらくはGBVSRかなあ。

株買ったり売ったりして遊びはじめました。ここ最近は平日昼間に触れないのであんま遊べてませんが…。
今まで株のことなんかよくわかんねえなみたいなこと思ってましたがひたすら企業と経済のこと調べるの楽しいので普通にオタク向けコンテンツだと思います。
なんで創作で金持ちが全然事業と関係ない経済の話で盛り上がるんだろ…って思ってたけどあいつら資産管理してるだけだな…みたいな解像度が上がったので良かった。

おわりに

だらだら振り返ってたら結構長くなってしまったので絞ってもよかったかな…と思いつつまあ書いちゃったしええか…という感じに。
そんな感じで2024年もオタクやっていきたいね。

おわりだよ~。

『劇場版 ポールプリンセス!!』すごかったね~みたいな話


オタク!『劇場版 ポールプリンセス!!』見た?
みてない?じゃあ見てきて……上映館ちょっと少なめだけど……。

www.youtube.com

とりあえず最初はネタバレなしで、途中からネタバレありの感想書きます。

そもそも『劇場版 ポールプリンセス!!』って何?

『ポールプリンセス!!』はYoutubeで2022年12月から~2023年4月あたりにかけてYoutubeでショートアニメ(公式の表記ではWEBドラマ)が公開されていたコンテンツで、今回の『劇場版 ポールプリンセス!!』はその続編?になります。

とはいってもショートアニメ全8話なんでさらっと見れますね。
なんなら一気見動画が公式から上がっててそれが56分。
www.youtube.com

偉そうに説明してますけどぼくは面白そうだから劇場公開されたらみにいこうとは思っていて、公開日に劇場情報調べるために公式サイト見てあっこれ一応続編だったわって気が付いてYoutubeでまとめてみてそのまま劇場に向かったにわかオタクなのでなんもこのコンテンツのこと知らん……。

ちなみに2分20秒のダイジェスト動画もあります。
www.youtube.com
56分も見てられん!ってせっかちはこれを見て劇場にいけ!
なんなら劇場版冒頭にある程度説明あるしなんも見なくてもいいかもしれん、それくらいのパワーがこの劇場版のライブパートにはあると思います。

劇場版…すげえぜ!

そんなこんなで劇場版見に行った……のですがこれが本当にすごかった!
なんならWebドラマ版見てだいたいポルプリ理解したと思ってましたが全然違う!

まずWebドラマ版がCGで全編進んでたのが作画になってる!ポルプリのCGモデルってすごく出来が良いし動きもコミカルでかわいかったんですが、これが作画になったことで表情での繊細な感情表現ができるようになってる!

次にライブシーンが……とにかくすげえ!
これはWebドラマ版の発表会があくまで「他ジャンル経験のある初心者の発表会」のダンスに抑えられて描かれていたのかもしれないと感じられるほどで、じゃあ劇場版は「ポールダンス日本トップの全国大会のレベル」のダンス表現しなきゃだよねという感じで振りも演出も盛りに盛られとる。Webドラマ版では実質1曲しか本格的に描かれずそこまで見れていなかった「ポールダンスだからこそできる表現」がこれでもかとばかりに大会の中で怒涛の勢いでキャラクターの個性と融合してダンスバトルとしてぶつかり合うの……本当に感動してしまった。
ポールダンス……マジでスゴいダンスのジャンルかもしれないです(作品の話をしろ)。

そしてなんといってもストーリーですね。
ここに関しては……Webドラマ版で残してきた伏線が一気に消化されたというかWebドラマ版と前後編みたいな部分はありましたね、あまり続編という感じではないというかやっぱWebドラマ版のストーリーちょっと物足りなかったの劇場版とセットだからやんけ!こっちまで見たらだいぶ完成度高いじゃん!みたいな気持ちにはなりました。
逆に劇場版だけ見たフォロワーさんがストーリーが物足りないみたいな話をしてたので、やはりどちらも見ないと尺的にはちょっと足りてない部分はあるのかもしれません(劇場版でやってた話がWebドラマ版でのセリフを前提にしていたりするので)、劇場版60分しかなくてライブパートにだいぶ尺とってますからね。

劇場版のストーリー、なんといっても「ポールダンスであること」を結構メタな視点で構成に盛り込んでるのがかなりキマってるんですよ。おもしれ~んだこれが。
うお~~~これがポールダンス!ポールダンスで良かった~~~~!ってなりましたからね。
ここに関してはネタバレでちょっと話したいですね。というわけでここからネタバレで!!



ネタバレあり『劇場版 ポールプリンセス!!』感想・読解

さて、なぜポールダンスだったのかという話をしていきましょう。

『ポールプリンセス!!』が描くポールダンスの要素としてまずこれがあるのかな、と思ったポイントが「痛み・怪我」そして「痛みの先にある景色」です、これはWebドラマ版でも描かれていた要素ではあります。ポールダンスは他のダンスと比べて"ミスをしなくても"怪我が多いダンスかと思います。観客から見るポールダンスは重力を感じさせず優雅で美しく見える反面、その体重を支えるポールを持つ主人公たちの両手は血豆だらけになり、ポールにぶつかる全身はあざだらけになりますが、この作品ではその怪我を肯定的にとらえるシーンが印象的でした。痛みに耐えて成長する中で血豆を眺めながらリリアが言った「まさに……血と汗と涙の結晶だよ!」はキラキラした世界観・アニメではなかなか描写されない血と怪我という"異質"すら受け入れる熱血スポ魂すぎる作品の文脈で印象に残っています。

同様に劇場版であざを銀河になぞらえて「ギャラクシープリンセス」を名乗るのは流石にちょっとキラキラしすぎてギャラクシーの語感の強さもあって笑ってしまいましたが……こんなにかわいいキャラばかりの作品でクソでかい青あざって怪我をそんなキラキラ肯定的に受け止めることがあるんだ……。ただこれって話の中で重要な要素だと思うんですよね。

この怪我・痛みが示すものは何かというと、キャラクターたちの「過去の傷(トラウマ)」ではないでしょうか。Webドラマ版ポルプリの話のメインの軸はヒナノのバレエ・スバルの体操(あとアズミ)と過去の傷でした。
Webドラマ版でのスバルとアズミの話では、「怪我をしても続けられるスポーツ」としてのポールダンスが描かれていました、これを初見で見たときはいまいちつかめていなくて、転向するのはいいけどそれって消去法の選択じゃない?ポールダンスのどこに魅力を感じたんだ?という要素がいまいちつかめていなかったんですよね。
少し脱線しますが、Webドラマ版でヒナノとリリアが衝撃を受けポールダンスの魅力に囚われていたのも私はあまり共感できていなくて、最後の発表会でようやくポールダンスの表現と可能性……すごいじゃん!って主人公たちの気持ちに追いついた部分はありますね。これについては作中で自覚的に描かれた要素ではあるかもしれません。実際に本物を見ていない友人を誘っても乗ってこないみたいな……がっつり視聴者がライブパートみれたの(Webドラマ版だけでは)ヒナノの1曲で最後だけですしね。

で、話を戻してポルプリのキャラクターたちはそういった傷を抱えたままポールダンスに転向してきたわけですが、Webドラマの発表会でバレエや体操(あとはコスプレや日舞)といった過去ダンスジャンルの要素を色濃く残したプログラムを披露したことで、これは過去ジャンルを諦めて別ジャンルに移動したのではなく、過去のジャンルへの想いが地続きのまま続けられる・そしてポールがあることでその表現の幅はさらに拡張されるという、過去の傷を乗り越えるだけではなく過去の傷と共に先に歩んでいく……という作品だったのだなと劇場版を見て改めて感じさせられました。


この過去の傷という要素で話したいことはまだまだあるのですが、ひとまず次の要素にいきます。ライブシーン1曲目、圧巻のダブルス……も素晴らしい内容ではありますが、話したいのは2曲目、ノアのシングルです。

このノアのライブを見て私が衝撃を受けたのはポールダンスによって描かれる「二面性」「変身」でした。
1曲目がユカリとサナの二つ名通り「"王"と"姫"というレッテル通りのライブ」を完璧にこなしてからのノアの「新しい自分を見せるライブ」という構成なのですが、これがポールダンスという要素とばっちりはまっていました。
ノアのレッテルと言えば日舞のたおやかで清楚なイメージではありますが、この仮面を脱ぎ捨て刀で切り捨て炎によって燃やし、着物からポールダンサーのセクシーなイメージを前面に押し出した裏の顔、クノイチへと変身します。

これを表現するアシンメトリーな衣装、半身が着物風で半身がボンテージっていうのがポールダンスで映えてすごいんですよね。ポールダンスの表現で他のジャンルと比較して素晴らしい部分ってやっぱり「回転」の制御だと思っていて、なめらかにゆっくり回転することで衣装の裏側をじっくり見ることができ、そして回転を停止して衣装の側面だけを見せることで全く違う衣装に変身したように見せている。
この表現はすごかったですね。青と赤のオッドアイから赤の目に変わる(!?)のも良かった。

先に話したように「過去ジャンルから地続きのポールダンス」はWebドラマ版から描かれてきたポールプリンセスの要素なのですが、ここでガツンとノアが「過去ジャンルの要素を残したままでありながら真逆のイメージのダンス」という表現を決めたのはやはり構成としてよかったですね。衣装を100%切り替えての完全に違うジャンルというわけではなく、50%の変化できちんと着物という要素を残す二面性を表現しているのがやはり過去を切り捨てず継続を踏まえた成長・変化を描いているのが作品の色で……。

この「衣装による変身」はコスプレでの変身というミオの要素にも接続するもので衣装の力すげー!ってなれたのも良かったです。ミオのライブの話もしましょうか。
「重力を感じさせない動き」ができるのはポールダンスを見た人がまず驚くポイントであり、人魚姫のモチーフで海中を表現するのも納得……ではあるのですが、そこでタイトスカートという衣装によって「足を拘束」するというのが人魚姫に真剣すぎてビビってしまった。
他の演目が足や股を強調する様子が印象的だったのに対して、ここで足を開かねえぞ!という衣装で表現をはじめて最後も地に立たないの、まずポールダンスをはじめたきっかけとして「セクシーではなくカワイイを表現したい」というミオの姿勢としてもノアのセクシーさとの対比としてもめちゃくちゃイケてましたね。「足を使わない」(実際にはめちゃくちゃ使っているのですが)、他人に流されない、人間にならないミオの自分らしさを追求するキャラクターと人魚姫のモチーフが決まっていて良かったです。
まあそれはそれとしてあの人魚姫衣装は普通にセクシーだと思いますが……。


さて順番が前後しましたがリリアとスバルのダブルスの話をしましょう。「仲間・他人の支え」の話ですね。
話としてはダブルスなら仲間の手をつかむことができるぜというある意味王道でよくある話かとは思うのですが、ここでポールプリンセスがちょっと違うのはステージにはもう一本「ポール」という支えがあるという要素ですね。

劇場版のリリアとスバルのストーリーでは、難易度の高いトリックに挑戦するか、それとも安全を取るかという話が展開されましたが、開幕でポールを補助に使いつつ宙返りするのなるほど!ポールがあるから安心して・安定して挑戦できるトリックなのかもしれないと感じられました。
「ポールダンスは怪我の危険をはらむ危険なスポーツである」、これは先にも話したように絶対的な事実であり、特にダブルスの危険度はシングルの比にはならない難易度だということは素人目からも想像できますが、ポールがあるからこそ逆に安全にできる体操の技もあるみたいな話だったのかもしれませんね。こういった危険性に対して真摯で、そしてそれを乗り越えるからこその美しさみたいなのが感じられたのはやっぱりうれしかったです。

ユカリとサナのダブルスがユカリの絶対的なリードで描かれたのに対してリリアとスバルは経験者のスバルがむしろリードされるみたいな対等さで高め合う様子が描かれたのも対比で良かったですね。このへんはユカリのラストの「お互いに高め合うライバルが欲しかった」みたいな話にもつながる要素でイケてたと思います。ユカリのシングルの旗表現、他人を圧倒する御旗ではありますが、それだけでなく他人の士気を高める存在でありたいみたいな要素でもあったのかと思うとまた印象が変わるのが良さだったと思います。


ユカリの話、やっぱり劇場版の集大成的な位置づけだったと思うんですよね。ユカリが抱え続けていたヒナノや他のダンサーをやめさせてしまった「過去の傷」の要素で、でも内面には抜けているところもあるという描写からそのキツい言葉の裏では他人をライバルとして尊重し高め合う相手を求めていたというイメージが反転する「二面性」と「他人の支え」という要素が込められていて。
ユカリの語った「勝利の涙も知ってほしかった」みたいな話、勝利以外認めない冷酷さではなく実は高め合うライバルとしての尊重の言葉だったの、本当にポールプリンセスが描いてきた「痛みの先にしか見えない景色がある」話そのものなんですよね……。だからこそ最後のヒナノとの和解まできっちりやってくれて嬉しかった。

ヒナノのライブパートにも振れておきましょうか、回転によるユカリというトラウマ、そして仲間という支えという上手と下手・表と裏の二面が描写されたのも良かったですが、ユカリがライバルとして立っていたのも責めるためではなく激励するためと考えると、どちらもプラス側の存在だったのかもと和解を見たあとでは思えるの、良いですよね。ステージの肯定で……。

ヒナノのパフォーマンスも発表会でのバレエの要素を色濃く残した地上メインの振り付けから、静と動・ポールダンスらしい高さを利用した大技をガンガン決めていたのは大会で勝つための振り付けを感じさせて印象的でしたね。ヒナノ、ユカリに認められていたり予選1位通過してたりとしっかり強者の側なんですけど、キャラクター的にはそこをあまり表に出さないのでこのメンバーでちゃんとチームのトリを任されていて、そして過去のトラウマを乗り越えられるだけの強さを改めて身につけてきたという成長の説得力がちゃんとダンスにしっかり込められたライブだったと思います。

『劇場版 ポールプリンセス!!』のティザービジュアルのキャッチコピー、「今、回りはじめた 私たちの物語。」一度は止まってしまった少女たちが再度歩みだす姿をポールダンスの要素と絡めて表現していていいなと劇場版を見て改めて感じます。ポールダンスの回転、一度回りだしたらそう簡単には止まらないんですよね。

おわりに

いや~書きたかったことだいたい書いたと思う!やっぱりストーリーの要素をダンスにがっつり落とし込んでると感じられたのがこの作品の一番のすごさだったと思っているので!
このへんの内容を自分の中で整理できたのでまた機会があれば見に行きたいですね~。

グリマスのオタクが墓の中から『アイドルマスターミリオンライブ!』先行上映1幕~3幕を一気見してきた感想と思い出語り

アニメ『アイドルマスターミリオンライブ!』先行上映のネタバレ感想です。まだ見てない人は注意してください。

面白かったですね~。ミリオンの歴史だ……。

私はもうミリオンのコンテンツに5~6年くらい触れてないので最近のミリオンのこと全くわからないのですが、映画館から出るときにオタクが「あれたぶん2ndの話じゃない?俺は知らない頃のミリオンだけど…」みたいな話をしているのが聞こえてきて、確かに最近(最近?)ミリオンに入ったオタクは知らんで当然よな……では当時の空気感を語らなければならない……。みたいな謎目線になったので感想やらを書こうと思います。
私は~2017年くらいまでの昔のオタクの目線で話をするから現役のオタクは最近の話とか感想を聞かせてくれよな!

とりあえず自分語りからはじめていい?クソほどどうでもいい話だからアニメの感想だけ読みたい人はとばしてもろて。

ぼくとミリオンライブ

私はグリマスのオタクです。

一応説明しますと、ミリオンライブにはGREE版「アイドルマスターミリオンライブ!」(通称グリマス)というブラウザゲームがかつてあり2018年にサ終し、そしてその後継となるアプリ版「アイドルマスターミリオンライブ シアターデイズ!」(通称ミリシタ)が現在まで展開されています。
つまりわざわざグリマスのオタクを自称するようなやつは現行アプリについていけなかった過去の亡霊、コンテンツ追ってないのにファンヅラしてる老害野郎なわけです。

この話いる?まあずっとミリオンに触れてないけど自分的には引退してる認識はないので……私が育てたグリマスのシアターとアイドルたちは俺の中で生き続けてるしミリシタとは別の宇宙で宇宙一アイドルやってる設定だから……(かつてのグリマスはレベルを上げるとシアターがデカくなり最終的に宇宙ステーション型劇場になります)。最近ふれてなくてもやっぱ人生で一番のめり込んだコンテンツだと思うし。ぼくの青春だった…。

まあそんなこんなでアニメ情報が出たときもアニメの先行上映が劇場で見れる!って言われたときはデュフフ……我々がかつて何度も徹夜で同志たちと語り合ったアニメ化ですな……流石に見届けるしかねえ!2015年の西武ドームでDreamingのアニメPVで動く彼女たちを見た感動も2017年の武道館で4周年アニメPVに込められたミリオン愛に感謝し朝までオタクたちと何度も見直したのも覚えとる……。みたいな気持ちでした。

そんな感じでアニメ先行上映見たいな~とは思っていたものの、仕事が忙しい状況が続いていて、休みが取れたときはもう1幕の上映が終わっていて、100%の状態で最初から楽しみたいし途中から劇場で見るのも微妙だしテレビで放送されるの待つかあ…と諦めつつTLに流れてくる3幕公開情報を眺めていたら「豊洲で第1幕と第2幕の上映延長決定!」ってツイートが流れてきたんですよね。
は?1幕公開期間終わってたから見る手段無いと思ってたけど豊洲ならずっと見れたの?じゃあ見に行くわ。コンテンツから離れたオタクのアンテナは低い…。結果的に3幕開始と同時で一気見できたのでちょうどいいタイミングだったのかもしれません。

POPとか展示見てなんかミリオンの扱いデカいな~って思いながら1幕見てそういえばシアターのモデルって豊洲だった……って思い出してちょっとウケました。

1幕感想

というわけで前置きが長くなりましたが感想を。流石に古のオタクだからうろ覚えで変なこと言ってても許してほしい……。

1話~2話

まず未来が複数の部活の助っ人ちゃんとやってたのは面白い解釈だと思いましたね。個人的には未来と言えば「アイドルになるために部活をやめてきた」のセリフで、部活クソ舐めてる印象が強かったんですね。そして異常フィジカル集団ミリオンの52人の中では運動できるイメージもなかったんですが、地区大会を目指す部活の助っ人ができるくらいにはちゃんとやってた。これがストーリーに活きてるのがよかったですね。
チーム競技で頼りにされるくらいのコミュ力、自分にはない高みを目指す人物の傍にいることと夢に対する渇望、そして急にアイドルを目指し始めてもそれがこなせるくらいの基礎体力が既にあることを「静香に声をかけ、静香に共にアイドルを目指せる」要素として成立させてるのが上手かった。オリジナルの未来のままだとちょっと静香の心を溶かしたり背中を押すには足りない気がしますからね…。ゲッサン版の未来を主人公としてさらに優秀にした感じがあります。ジャングルジムの誓いもゲッサンにありましたしね……それはそれとして中学生は18時開演のライブ終わったら公園でたむろせずまっすぐ電車乗って帰りなさい……。

静香もそんな未来の存在をリスペクトして前を向けていて変にこじれることもなかったのは2人の関係性として良かったですね。「未来にない夢を静香が持っていて未来はそれに影響を受ける・静香にない行動力を未来がもっていて静香がそれに影響を受ける」の相互補完の構図はいいタッグでした。おそらくここに翼の「目標も行動力もないが技術はある」が揃って3人で相互にもなるんですがここの3人目としてのポジションが補完されるのは3幕なのでここでは軽めでしたね。

オーディションが中野サンプラザなのもおっとなりましたね。ミリオンライブ単独公演はじまりの場所、1stライブが開催されたのが中野サンプラザなんですよね。そう考えると未来と静香(と翼)が幕張メッセにASを見に行ったのは1stの前の765の8thを意識した場所選びでしょうか。
ASのライブはオタクの手拍子のリズム感のなさも再現されてるのリアルすぎてちょっと笑いました(まあデカい会場では音が届く速度の関係でああなるんですよね…)。

オーディションで先に合格している面々がヘルプしてるのも良かったですね。ミリオンライブでよく言われていたのがプロデューサー1人で52人回すの無理でしょうという話なんですが、今回は社長とP2人事務員2人でやっていて、かつそれでも当然足りない。でもその穴埋めを手の空いたアイドルがやってるというのをちゃんと描写していたのが良かったし、そしてそれがこのアニメ『アイドルマスター ミリオンライブ!』が最も描こうとしているシアターという居場所の相互扶助、ホームの絆というテーマに繋がる要素への布石になってるわけですよね。

そして静香のオーディション、このへんの歌い方だったり、音の説得力は流石に良かったですね。やっぱ静香…というか静香の声優、田所あずさの歌がミリオンライブってコンテンツに与えてくれたものってもともとのキャラ設定から逸脱した文脈ですごいんですよ。アイドルマスターの新しいコンテンツとして出てきた(当時)全然知られていなかった実力派新人声優がその歌でミリオンの代表として他コンテンツのオタクをミリオンライブに引きずり込んでファンを増やしてきた、そういう歴史がもうコンテンツに浸透してると思います。
静香のキャラ設定としては歌で黙らせるキャラみたいな感じはもともとは存在してなくて(一応青の系譜として千早からの流れみたいなのはあるとは思いますが)、でもそういうリアルライブの文脈をミリオンライブというコンテンツに取り込んでミリオンのオタクを納得させたのがゲッサン版ミリオンライブというメディアミックスで、このアニメもそういう流れを汲んでるとは思うんですよね。
それはそれとして『Rat A Tat!!!』は新人アイドルにやらせるには音取りむずい曲すぎん?しばらくミリオンから離れてたから新曲が現代らしいアップテンポで早口な曲多くてびっくりしちゃったよ。

1幕2幕の延長上映は今応援上映しかないので、とりあえず初見だしオタク視界に入れたくないな~って思って最前でふんぞり返ってみてたんですけど(上向くと首が痛いので…)結果的にめちゃくちゃ審査員席目線で見れて良かったですね…。全体的に劇場最前席でステージみてるみたいなカメラワーク多かったですし、静香が歌うところの音響の切り替わりとかすごかったですしTVアニメではあるけど可能なら劇場で見るべき作品だなこれは…と思いましたね。ちょうどシアターのステージのサイズ感ってちょっとデカい映画館くらいですしね。

そしてオーディションの3人からシアターに立つ39人の姿の幻視、この空気こそが私がやってた1thライブ~4thライブあたりにあったミリオンライブの空気なんですよね。この話はちょっとあとに回して2幕の原っぱライブのところでしましょうか。(37人と書いていましたが39人だとコメントいただいたので修正、スミマセン)

3話

シアター組出てきてここからがいよいよこのアニメが37人をどう扱う作品になるかお手並み拝見みたいな感じで見てましたね。
でいきなりインパクトを残してったのがロコとまつりなのは良かったです。あとわかりやすく目立ってたのは茜でしょうか。この辺はやっぱりキャラ・髪色・口調・服装・シルエット全部わかりやすいですもんね。この3人はあとの原っぱライブというクリエイションに繋がるネタだったのもよかったです。
話の軸としては百合子とまつりが絡んでたわけですが、同世代(1つ上)の百合子が先輩風を吹かすのと年上のまつりがめちゃくちゃやってることで全体的に年齢だとか先輩後輩の垣根を取っ払う布石という感じで良かったですね。年齢差のとっぱらいに関してはは4話で桃子とぶつかったりしてたのもわかりやすさかもしれないです。ムビマスだと年上組の美奈子と奈緒が一歩引いてたような印象があるので今回みんなバカやれてたの嬉しかったんですよね。大人組もちゃんとしてるけどアイドルとしての立場は対等というか……。

あとは印象的だったのは工事中のステージを見学するところですね。私にとってやっぱりミリオンライブってやっぱり劇場を作るゲームなんですよね。グリマスは仮設テントの劇場からスタートしてプレハブ小屋にしてシアターになってショッピングモールになって遺跡になって空飛んで海渡って劇場ごと宇宙に飛び出すゲームでしたからね。
だからこそシアターの建設って過程が描かれてるのもよかったしまだ見ぬステージの光の話がされるのもよかった。それはそれとして現場でヘルメットはつけな……。

4話

もうキャラいっぱい動いていてずっと嬉しかったですね…。今となってはそんなの当たり前じゃない?と思うオタクの方が多いかもしれないんですけど、やっぱりミリオンライブの異常性で特異性って全員に(基本的に)平等に出番があったことなんですよ。ミリシタが今どういうコンテンツ展開をしてるかはわからないのですが、アイマスってコンテンツにおいてグリマスってシンデレラガールズ(デレマス)のあとに出てきたゲームで、デレマスが出来なかったこと、そしてデレマスのオタクがずっと欲しがっていつつも無理だろうなとも思っていた「全員に声と出番と曲が欲しい」という要求に最初から応えてくれたゲームで、あの頃のオタクってやっぱりそこにコンテンツに対する信頼を置いていた人が多かったと思うんですよ。

全員に定期的に出番が回ってきて、全員に出番のあるイベントも定期的にあって、そして1人のキャラが全員と定期的に絡むから単推しのオタクもシアター全体50人のストーリーを見ることになる。そういうコンテンツだったんですよね。これを50人って規模でできていたゲームは当時他になかった…というか今もほとんどないと思います。ミリオンの後発のSideMもシャイニーカラーズもユニットが最初から割り振られているから基本的には全員で絡むというよりはユニット内で絡むことが多いですし。

このユニットがないのってミリオンが生まれた10年~15年前あたりのソーシャルゲームブラウザゲームの時代性だとは思うんですよね。ミリオンはキャラ描写やストーリーに力を入れている方ではありましたが、かつてのソーシャルゲームにはほとんど長いテキストやストーリーがなく、ある程度プレイヤーが想像で補完することが要求されていた。これソシャゲの文脈もそうなんですがアーケード版アイドルマスターからの文脈として『各プレイヤーだけのオリジナルユニットを組もう』みたいなのがあったのも大きいのかもしれません。アイドルマスターのプレイヤーがプロデューサー名乗ってるのも自由度が高すぎてプレイヤーがある程度想像で補完するゲームだった頃のロールプレイ感高かったからだとは思うんですよね。

ちょっと脱線しましたがそんなこんなでミリオンって特定のユニットがなく50人全員が話を回してたんですよ。ある程度人気のよく出る組み合わせみたいなのは当然あるはあるんですけど…。
だからキャラとキャラが会話してるときにこの2人はこういう反応するなみたいなのが大体みんなわかるし、特定の2人が一緒にいるとこの組み合わせは…!みたいなのが無限に出てくるうれしさがあって、そしてそこからキャラの深みみたいなのが無限に生まれていて、そういうマイナーなカップリングにも公式から供給が来るからユーザーが好きなキャラを自由に組み合わせたり魅力を語ったりして遊べるソーシャル性が高かったのもミリオンの魅力だった。

4話の話に戻りましょうか。
これは今回アニメ見て改めて感じさせられたんですが、ミリオンライブの面白さって、そういう50人全員が別の思惑で動いてぶつかった結果同時進行で複数のドラマが生まれて交じり合っていたっていう群像劇的な一面が大きかったと思うんですよね。でもそれを25分?しかない・全12話というTVアニメという縛りの中で37人(39人・52人)使って描けるかっていうのはまあ普通に考えたらできないしそもそもやろうと思わないんですよ。でもこのアニメはそれをお祭り回とかそういう扱いではなく全12話の中でメインとして描いていた。

未来が「自分がやりたいから」というより「みんなの気持ちを叶えよう」みたいな動機で全員の原っぱライブ企画してくれたのマジでそれミリオンライブじゃん!ってなったんですよね。ミリオンライブって確かに個性的なキャラクターが強みで一番の魅力のコンテンツではあるんですけど、その個性って作品の中で個ではなく50人というチームの中で同じ目標に向かう中でこそ発揮されてきたと思うんですよ。
1話~2話で他人の夢の美しさを知っていて、他人の背中を押して夢を叶えさせた未来だからこそこの37人の夢も押したくて、アイドルが輝くために・夢を叶えるために・ライブをするために何ができるかを考えていて、その未来の想いを受けてプロデューサーだけでなく他のアイドルも全員が全員の成功のために企画を考え頑張っていた、いや言われてみればかつてのグリマスは確かにそういう話をしていた。実際の芸能界の姿ともアイドルの姿とも、そして今までのアイドルマスターのアニメが描いてきたものともかけ離れてはいるんでしょうが、ミリオンライブというゲームの中でのプロデュース業・アイドルたちって確かにそういう「50人全員で何かを作りあげる」形をしていたんです。

もうこの辺でだいぶわかってきてましたね、このアニメがミリオンライブのアイドル・キャラクターの魅力だけではなくミリオンライブというコンテンツの魅力を描こうとしていることが…。
最後にOP映像『Rat A Tat!!!』で全員が高速切り替わりでカットインするのマジで無茶だけど頑張って全員見せようとするのうれしくて本当に笑顔になってましたね。

2幕感想

5話

続けて原っぱライブの話。全員わちゃわちゃパートが続いて嬉しいのは先に書いた通りですね。
んで『手作りのぶどーかん』ですよ。先にグリマスが劇場をデカくするゲームで、その劇場の初期状態が仮設テントという話はしましたが、それがこれ、みんなのぶどーかんです。
これ回収されたの本当にうれしいんですよね。
グリマスって変なゲームなのが魅力の1つで、その方向性が一番最初に見えるのがこの「ゲームをはじめたらアイドル50人もいるのに手作り感あふれる仮設テントしかない状態ではじまった…」みたいな意味のわからなさで、きっと当時のいろんなプレイヤーの第一印象として強烈に残ってるはずなんですよね。それがこのアニメの中でアイドルたちの最初のステージとしてちゃんと描かれたの、本当に歴史の話だと思いましたよ。これってミリシタにはない要素ですよね?最初からシアターでしたし…。

そして歴史の話といえば「ステージに立てる人数に限りがある」ですよ。
これは本当に「あ~」ってなりましたね。
おそらく最近ミリオンに入った人は可能な限り全演者がライブに出ることが前提みたいな感覚になっているんじゃないかと思うんですけど、アイドルマスターの、特にミリオンライブのリアルライブの歴史的にこれは本当に悲願だった。
ミリオンの演者がはじめて全員参加する3rdライブツアーが発表されたのは2015年の西武ドームでしたが、当時のオタクの感覚としては「37人全員ライブに出してほしいとはめちゃくちゃ思っているけど流石に人数多すぎて無理だろうな」でした。AS組の13人全員揃えるのすら大変なのに37人は流石に厳しい、デレマスならライブに1回でも出れたらノルマ達成みたいな感覚でしたし。まあ何年もかけてちょっとずつ全員出せれば…くらいの気持ちでした。デレマスがツアーやってないのにミリオンが先にツアーやるわけないしなとも思っていましたし。
だから本当にこの発表を西武ドームで聴いた時は本当に声出ましたね。人生で一番叫んだ瞬間だったかもしれない。周りのオタクうるさくしてごめん…。ミリオンライブがキャラクター全員を大事にしている作品だということはわかっていて、演者もいつか全員で出たいなという話を何度も何度もしていて、私もそれが見たいとずっと思っていて。それでもどこかで実現は無理だろうなと思っていた。でもミリオンライブはそれを実現してくれた。

そういう文脈を踏まえていたから、原っぱライブのステージに立つ7人見たときも「あ~」ってなりましたね。これ1stライブに参加したメンバーで、初期のミリオンライブの代表としてリアルライブをやってきたメンバーで、ライブに出られないメンバーたちの想いを背負ってステージに立ってきたメンバーなんですよ。
だからこそそのステージに立てずにステージの外で歌っていた可憐に本当にやられてしまった。ミリオンライブにおける『Thank you!』という曲の重みなんですよね。

『Thank you!』、最初にリリースされた曲で、ミリオンの顔だった曲で、1stライブの最初の曲で、やっぱミリオンライブはこの曲からはじまるんですよね。
感謝から始まるコンテンツ、なかなかないですしこの50人が対等に描かれているめちゃくちゃなジャケット、本当に「全員」のコンテンツだなって思うんですよね。

そしてグリマスってゲームはこの1stライブの成功を受けて感謝イベントとして1stライブ衣装を着た「全員」のカードを実装したんですよね。リアルではステージに立てなかったアイドルもゲームの中のライブでは全員共にあったというとんでもないIFがゲームで描かれたわけです。これも本当に当時としてはあり得ないくらいすごい話で、このイベントがあったからこそミリオンライブってコンテンツとオタクの中にはずっと「全員が同じステージに立って歌うという幻覚」の実現にこだわりがあるんですよ。
この『Thank you!!』37人全員歌唱は最終的にはリアル武道館・4thライブで実現する(厳密にはしなかった)こととなるのですが、この話は第三幕で…。

香織と紬が客席にいたのも演者が4thライブを見に来ていたエピソード再現で良かったですね。それはそれとして最前席空いてるのは意味わからなくてちょっとウケました。

6話

5話が1stライブならこの全員小分けでのデビューライブは3rdツアーだな~とか考えてました。
チーム1stのメンバー、元ネタはあるのかよくわからなかったんですが『Star Impression』の曲調含めて”強い”メンツでわかるな~って思いましたね。この辺の”強さ”って1幕の静香の話でも書いたようにキャラ設定を超えた演者を含めたライブパフォーマンスの話で、それを作中に逆輸入してる感あって本当にリアルライブを含んだミリオンライブを知ってる人が考えたセトリの1曲目って感じでうれしかったんですよね。

美奈子リーダーでセンターに持ってくれたの本当にうれしかったですね。これはまじで私の個人的な脳内設定の話で申し訳ないんですが私はガチでダンスにこだわりを持ってたPなのでアイドル全員踊らせることばっか考えてましたしDa属性の美奈子がこういうダンス曲やってくれるの本当に解釈一致なんですよ。まーじでかっこよかった…。

紬のエピソードも良かったですね。家と家族の話は三幕につながっていくのでそっちに書きましょうか。

7話

ついに来ましたね……。ミリオンライブが……。
質アニメだね~みたいな顔してたら急にバカなイベント来て笑ってしまった。
ミリオンライブといえば意味の分からないバラエティ企画と超絶フィジカル描写とトンチキ解決ですからね。

バカではあるんですけどキャラ絞られた分各キャラの個性と魅力が出まくってて本当に良かったです。無限に語りたいポイントがある……。こういう話12話やってくれてもいいですよ。
サンライズパース木材切断からの崖上りは流石にアイカツでしたね……。あまりにも危険な番組すぎて日曜朝に放送できねえだろ!って思いましたがまあこれくらいファンタジーに振れば逆にセーフなのかもしれないです。セクシーすぎて放送されなかったらどうしよう……。

チームの枠を超えた協力がやっぱり「全員一緒に」の文脈で本当に良かった……。

8話

これもトンチキですけどぼく好みのキャラ対比エピソードでしたね……。
桃子の前職とこのみの前職が糧になっているという肯定、その頃とは違うという今・アイドルであるからできること救われることの肯定、仲間がいるから・プロデューサーがいるからできることという肯定。
このへんの軸がいい感じに絡んでて良かったですね。

桃子と育が離れた場所で仕事していてもちゃんと繋がっていたのが良かった……。

子役探偵の版権元の人に許可取ってなさそ~みたいなどうでもいいことを考えてました。

3幕感想

9話

何で函館……?ライブでもあったのかな……?って思って調べてみたけどよくわかりませんでした!グリマスの全国キャラバン編も北海道は札幌と富良野でしたしね。
個人的な理由ですけど去年函館で数か月仕事してたのでめっちゃ見覚えある景色でうれしかったですね。
ミリアニ、豊洲の風景だとか幕張メッセとか中野サンプラザもそうですけど単なる背景絵としてだけでなく現地の空気感がかなりリアルなのいいですよね……。

春香千早美希と未来静香翼の対比なんですけどこの辺良かったですね。
ミリオンのオタクはAS組のキャラ知ってますけど…というかア二ミリのAS組はアニマス(箱〇ベース)要素が濃く出てるAS組だと思うので新規の視聴者はどういう経緯を経てAS組が今の頼れる先輩になってるのか知らない人の方が多いと思うんですよね。
でもそれってまさに「未来静香翼の視点から見た先輩アイドルの姿」だからそれでいいんですよね。

とはいえぼくはAS組とシアター組は対等派だったので(この設定ミリシタで消えました)あんまり先輩風吹かせてほしくはないタイプのオタクでしたが……まあグリマス時代もムビマスと地続きの世界観のストーリーはちょいちょい出て来てましたからね。
『Ready!!』流れたときも「ここでReady!!流すのわかりすぎる~」の気持ち8割と「でもそれアニマスの曲でミリオンの曲じゃないが……」2割みたいなめんどくさいオタクの顔がちょっと出かけたんですが『追憶のサンドグラス』と『Snow White』がきて嬉しかったので許しました(何様?)。
いや『追憶のサンドグラス』なんですよね。AS組のミリオン曲ってマジでライブで披露される機会が少なくて、(ミリオンのライブに出てこない+AS組のライブ自体が少ない+あってもミリオン曲よりセトリに入る名曲が多すぎるみたいな)サンドグラスはその中で曲人気も高かったですしライブで見れるまでは死ねないって話はしてるオタクは多かったですよ。だから『Snow White』がストーリーの軸になる曲なのも良かったですね…。


『Snow White』ってやっぱり個人的にはミリオンの千早のイメージを象徴する曲なんですよ。
過去の千早の真っすぐすぎて余裕がなかった冷たさの中に強い意志が込められたイメージではなく今を噛みしめるようなとても暖かい歌で、1人で真剣に歌に向き合ってた頃ではなく最初から50人好き勝手やってる自由人の輪のなかでのびのびと歌に向き合うことができている、それがミリオンの千早のイメージなんですよね。
そういう曲を静香が歌うとちょっと昔の千早みたいな歌い方になる。これめちゃくちゃ良かったですねえ。いやしかしソロ曲を原曲と違うイメージで原曲と違うキャラに歌わせるってかなり攻めた作りではありますよ。本人歌唱やったあととはいえめんどくさいオタクにお気持ちされてもおかしくないのにそれでもやりきった。まあAS組のパートをシアター組がカバーするのリアルライブでもずっとやってる文脈といえばそうなんですが。
結局この話で未来静香翼がやってたのって「過去の春香千早美希」との対比で、「アイドルになって得られたもの」「デビューしたらできるようになるもの」の話なんすよね。周りが見えてなかった頃の春香、アイドルに向き合えてなかった頃の美希みたいな。「もうファンではない、憧れではない、聴くだけで満足できない、ステージに立つ側、歌う側、ライバルとして向き合う存在になること」なんすよね。

9話見てるときは「AS組からシアター組へのバトン」「先輩と後輩」の文脈だけで見て意識してなかったんですが、今この記事書きながら思うのはこれ「旧アニマスのAS組からミリオン世界観のAS組へのバトン」旧作品のファンに向けた「ここからまたスタートするAS組たち」の世代交代の話でもあったのかもしれないですね。そう考えると『Ready!!』から『Snow White』は上手すぎる構成なのかも、『Ready!!』やったの最高!自己解決しました!(は?)

10話

チャリティーの話ですね。
千早静香志保星梨花って限界家庭環境組なんですけど、作中で語られたのは静香と星梨花のおもしろパパの話で千早と志保の家庭の話は匂わせ程度しかしてないのまーじでオタクだけを殺す構成で笑っちゃいましたね。オタクが見てるときだけ激重ストーリーになっとる。

これ9話を受けて静香が「アイドルにできること」「アイドルになること」から「アイドルになろうと思った理由」「忘れていた気持ち」で静香父の忘れていた気持ちに接続して和解まで持ってくだけでキレイにまとまっていて全然上手いんですけど、今回の千早自体だったり、未来と翼とPの父親の説得だったりシアターのメンバーがところどころステージ外でフォローしてそれが上手いこと働いてるのが本当に良かった。
この未来とか千早がやってる「背中を押すシアターの仲間の存在」からの「ステージで輝く背中を押されたアイドル」のバトンの連鎖が1話からずっと一貫して描かれてて12話で爆発する伏線になってるの本当すごいんですよね。

静香単体の話ってこのミリオンライブでほぼ唯一単独で掘り下げられてるエピソードではあるんですが、それが未来だけとかではなくしっかりシアターの仲間全員が当たり前に支えてるっていう描写がキモにあるの本当に52人のミリオンライブが好きだったオタクからしたらうれしいんですよね。

11話

合宿回です。全員でわちゃわちゃしてるの嬉しすぎ!(n回目)

いやこれシアターで寝食を共にする意味なんですよ。6話の紬が未来の家に泊まったときのシアターが「家族」「家」のエピソードがモロに決まってる。
その中でもホームグラウンド発言には唸ってしまった、劇場で一番最初に野球をしてた意味ってそういうこと!?「劇場で野球する」ミリオンのクソネタをこんないい話に接続してんの流石に芸術点高すぎる。まあ野球は禁止されているのですが……。

そして全員をステージに集めるジュリアの歌、『トワラー』ですよね。39人の仲間を繋いだのってやっぱりステージの上の歌とダンスなんですよ。歩の即興ダンスとそれに応える可奈と麗花も良かった。ダンスって決められた動きを見せるものではなく言葉を超えたコミュニケーションの一面ですからアイドルという絆の形の表現として本当に良い。

ステージで寝ること、ステージで生きること、「アイドルとして生きていくこと」で9話のアンサーなんですよね。
翼の決意もよかった。なぜアイドルなのか、翼が何のためにステージに立つのか、未来と共に静香の背中を押したように、みんながステージにかける本気の輝きを知っていること、私がその38人の背中を押せるということ、私の”本気”ならそれができる、であるならそれをやりたいという覚悟ですよ。

というわけでライブ開始!
デビューライブで37人全演者出演3rdライブツアーの再現をしたなら当然次のモチーフは37人全員が同じステージに立った武道館4thライブになるんだろうなみたいなドキドキで見守ってました(4thは実際には36人しか立てず琴葉は3Dモデルでの共演となったのですが……)。

全員でステージに立てなかった悔しさを抱えて歌った5話の『Thank you!』、2幕のエンディング『Welcome』を受け、各チーム全員のデビューライブを繋いできた終着点なら奇跡の全員参加の代名詞、3rdライブツアーで毎回最初に各チームで歌われ親の顔より聴くこととなった『Dreaming!』(LTDリリイベも半分以上行ったのでマジでめっちゃ聴いた)が歌われないわけはない。からの翼の『ロケットスター☆』、これは見てた時はわからなかったんですがバックダンサーの3人でグリマス最初のイベント「開演!ロケットスタートライブ」に重ねてるんですよね。グリマスの長い歴史はここからだった……。というわけで12話へ。

グリマスゲーム内イベント『いざ勝負!真剣すごろくゲーム』の作中で遊ばれていた「スペシャルすごろくマップ」の1マス目

12話

『海風とカスタネット』からの『フェスタ・イルミネーション』『チョー↑元気Show☆アイドルch@ng!』のつなぎ、良かったですね。
やっぱりミリオンのライブの良さってギャグみたいなキャラたちが ゴリゴリのパフォーマンス決めてくれるところみたいなのはありますからね。フェスタの開演なんですよね。

そして『バトンタッチ』いやこの曲この12話で描いてきたミリオンライブの歴史の全てでこのこけら落としライブすぎる……。
曲名が出た瞬間にはいはいこれこのアニメの本質です本質、今全てを理解しています……みたいになって気持ち良くなってました。仲間からバトンを受け取って仲間に繋ぐアニメなんですよね。ステージの上では視界ほぼゼロで回りが何も見えてない紗代子が遠くても仲間がいるから大丈夫みたいな歌詞歌ってるの本当に……。

んでミリオンで最も(?)有名な2ndライブの機材トラブル事件の再現、問題の『Sentimental Venus』です。正直曲来る前からプラグがバチった瞬間に当時を知ってるオタクはだいたい「やるんだな!?今!ここで!」になってたと思うんですけどいざ2ndライブ2日目メンバー出てきてSVのイントロ流れたら覚悟してても震えましたね……。私は2ndのチケット取れなくて女々しくも現地行って空気吸ったあと幕張のLVで見てたんですけど大合唱と拍手UO点火はLVでもやってましたよ。会場に届くわけでもないんですけど自然にそういう空気になってましたよね。

2ndライブ音響トラブルの再現やるのはいいんですけどじゃあここからどうするんだってバタバタ走り回る面々と止めたくない!って騒ぐプロデューサー見ながら思っていたところでの紬の「うちがつながんと…」というセリフを聞いた瞬間に完全に理解しました。
私はこの空気感を知っている……これは2ndの再現だけじゃない、4thライブ前後のプロデューサーたちの雰囲気だ……。(回想入ります)

これは結構ネガティブな話になってしまうしちゃんとあの頃のグリマスが最高ってオタクもいたはずなので超主観での話ということを前提にして読んでほしいのですが、3rdライブツアーの大成功を終え、数々の伝説を経たミリオンライブは口コミでどんどんコンテンツのファンを増やしていき、そして4thに向けてミリオンライブというコンテンツだけではなく原作ゲームであるグリマスも盛り上がる……と思いきやその中で何故かグリマスは失速していきました。
度重なる仕様変更による客離れ(これについては私は新しいもんがどんどん出てくる!と純粋に楽しんでいました)、そしてグリマスというゲームの強みであったリアルライブ展開との同期・3rdツアーと共に全国を駆け回った全国キャラバン編から一転して1年を通して「出会いの物語を再度描く」という過去を向いたNP編(ライブで増えた新規向けの展開なんだな……と自分を納得させていました)、そして毎年見たことのないユニットで新鮮な組み合わせを見せてくれたこれまでの周年イベントから一転して過去のPSL編と同じユニットで展開されテキスト量も大幅に減らされたULAという目玉イベント。それでもその合間のイベントはミリオンライブらしく斬新で楽しいものではありましたが、今のミリオンはゲーム外展開に注力して昔のグリマスのような大規模ストーリーは実装されないのかもな……というのは薄々感じとっていました。

そんな少しネガティブな気持ちを抱えつつも挑んだ武道館での4thライブはやはり本当に最高でした。Day1がThank you!!ではじまりThank you!!で終わったこと、過去をリスペクトしつつも「最高を塗り替える」を体現してきたミリオンライブ、その無敵感が変わらずそこにはあったことは再確認できました。だからこそグリマスというゲームからそれが見えなくなったのは悲しかった。
そんな4thライブDay3。発表されたミリシタ。展開の縮小の理由に新アプリがあったことには納得があり、その時点ではこれからまたミリシタもグリマスも盛り上がっていく未来が見えていました。

私がグリマスはもう終わるんだなと確信したのは4thライブ直後のイベント『アイドルヒーローズ サイドストーリー』でした。これは過去のイベントの裏側を描く違う時系列の物語で、もう私と共にリアルタイムで歩んでくれてみたことない景色を見せてくれるグリマスはそこにはなかった。その後もグリマスは復刻イベントばかりになり、サ終はまだ宣言されていない段階ではあるものの展開がほぼ終わったことは大体のプレイヤーが予想していたと思います。そんな空気の中でミリシタがリリースされました。

ミリシタはいいゲームでした。クオリティの高い3Dモデルと衣装。しかしそれでも流石に52人というキャラクターの物語を最初から描くことには無理があり、出会いの物語やキャラ紹介が1から少しづつ描かれるのを眺めながら彼女たちが新しい姿を見せてくれるのはまだまだ先だろうなあ……まあ最初から全員実装されてるだけでもすごいことだしな……みたいな気持ちでプレイしていたのを覚えています。
そんな中で私を新鮮な輝きで繋ぎ止めてくれたのがミリシタの新キャラ、白石紬と桜守歌織との出会いでした。特に2人の楽曲、『瑠璃色金魚と花菖蒲』『ハミングバード』は何回もプレイしたのを覚えています。瑠璃色金魚は当時としては高難易度で譜面も楽しかったですからね。まあそもそも曲があまりなかったので……。

クソ長回想終わり!!ミリアニの話に戻りましょう。
というわけで他の誰でもない、紬が止まってしまった流れを先につなげる!という決断をしてそれを歌織がつないだの本当に、本当に嬉しかったんですよね。アニメの中で周りに振り回されてきた紬がここで自分でその決断ができることが……。このアニメ見るまで全然意識してなかったですけど私がミリシタを短い時間だけでもプレイできていたのは確実に紬と歌織の物語があったからでした。『瑠璃色金魚と花菖蒲』『ハミングバード』がつないだミリシタという未来なんですよ。
結局私はこのグリマスからミリシタというバトンを受け取れずに「ライブが止まって」6年経ってしまった立場なのですが、実際には多くのオタクたちとミリオンライブと52人のアイドルたちがこのミリシタというバトンをちゃんと受け取って6年という月日を盛り上げて今10年の時を経てこの素晴らしいアニメという到達点に至っているわけですからね。
私がかつて愛したミリオンライブはやはり最強だったらしいな、誇らしいが……(誰目線?)

もうこのへんよすぎて話したいことなくなったから終わりでいい?完全に成仏しかけてたせいか本気で『オレンジノキオク』と『REFRAIN REL@TION』の記憶ないんですよね……。
満を持しての@を冠する曲……いや亜利沙のアイドルch@ngやっちゃったのノイズじゃないですか?瑠璃色金魚でミリシタの話していることに気が付けたのでチーム8thがミリシタ初期実装SSRの5人だな~ってのにここでようやく気が付きました……と思ったら初期実装組はプラス春香で6人でした。まあ別枠別枠……。

んで最後に『Brand New Theater』、4thではじめて歌われたミリシタの曲ですね。このアニメはミリシタに繋ぐストーリーだったので当然この曲は外せないということで。
このアニメ見るまで『Brand New Theater』にあんまりミリシタの曲ってイメージなく普通の周年曲みたいなイメージだったんですけど(は?)Thank you Welcome Dreamingの部分が単なるノルマでなくちゃんとグリマス時代の想いを繋いでミリシタにバトンを繋ぐという曲だったって考えるとめっちゃありがたい曲なのかもですね……という感じでシアターにようこそでEND。

最後にエンドロール眺めてたら50音順なのに今更気が付いてちょっと嬉しかったです。

おわりに

いや本当にグリマス時代の楽しかった思い出がこれでもかとリフレインしてすごいアニメでしたね。
続きはミリシタで……という感じなので本当にグリマスの話だったのかもしれないです。

まあちょっとアニメの本筋と外れた幻覚が見え過ぎてしまった気もするんですがこれも楽しみ方の1つということで……。
流石に1幕から3幕まで一気見したせいか後半の解像度がかなり荒くなってる気がしますね……もう一回見たい気もするんですがまあ本放送はじまったらでまた改めてじっくり見ましょうか……。

一気見したあと全員のPOPの写真撮ってやっぱうちの担当が一番イケてるなとニチャついて豊洲の夜景見て帰りました。

この記事書きながら懐かしくなってミリシタにログインしてみたらメールに2200日前とか書かれててウケました。
担当のSSR実装されたときにやる気が戻ったらいつかプレイしようと思って引くだけ引いて放置されていた1レベルの担当レッスンしてセンターに編成して遊んだら楽しくてワロタ。
ミリオンをここまで支えてくれたオタクと運営、アニメ作ってくれたスタッフに、本当にThank youですな…。

おわりだよ~。

プロセカ『Let's study hard!』感想・読解みたいなやつ

『Let's study hard!』感想読解書くぞ!

雑感

「勉強しないと大変なことになるから勉強しようね!退屈な勉強も真面目にやったら面白いかもよ!」みたいな学生プレイヤーに向けたメッセージを描きつつもきちんと杏と瑞希にとっての「学校・友人」という居場所が「他者との関わり」という文脈で描かれるというキャラの掘り下げがしっかりされていたのは良かったですね。

というわけで見ていきましょうか。

学校に通う意味、暁山瑞希と「普通」の話

……お前は週明けから1週間、補習だ(教師)

今回のイベスト、杏たちは留年しないために補習に奮闘するというストーリーなわけですが、まず前提として瑞希以外の全員が既に何度も自ら企画した興行を成功させている、つまりインディーズではありますが既にプロのミュージシャンとして立場を確立しており、さらに卒業後の進路としてもプロ活動を続けていくことが前提にあるわけですね。つまりあえて学校に通う意味もない、進級にこだわる必要もないように思われます。この辺は学生大会で活動を終えることを前提にしている部活ものとは違う文脈ではありますね。

これは一般論として学生は当たり前に勉強するものであり高校も入学したならば卒業した方が良いという理由で終わらせても良い話ではあると思うのですが、今回のイベストでは補習を頑張り進級するそれ以外の2つの理由で描いていると思います。それはまず1つ「勉強が役にたつから」そしてもう1つ「友人と共に進級するため」という文脈です。

「勉強が役にたつから」の話は後にまわして、まずは「友人」の話を先にしていきましょうか。
これはまず瑞希のシナリオで以前から描かれているものを読んでいきましょう。
『そしていま、リボンを結んで』(2022/08/20~)で描かれた中学3年生の瑞希は1年歳上の気の置けない友人である類が卒業したあとの学校に興味を持てず、アニメ鑑賞や動画作成という「学校よりも楽しいこと」を見つけそちらにのめりこんでいきました。
反面、初期に描かれた今回と同じ神高イベ『KAMIKOU FESTIVAL!』(2020/12/10~)では高校生になった瑞希は今回のイベントメンバーたちと出会い、学校で新たな友人と騒ぐ楽しさを見いだしています。

(ずっと屋上からみんなを見てたボクが、こうしていろんな人と繋がって――)

つまり瑞希にとって今の友人と話せる「学校」は「楽しい」場なんですよね。
類であったり杏であったりという友人の存在が瑞希を学校に留めてきたわけで、その目線で見ると今回のイベントで描かれたように瑞希が勉学にやる気がないのは納得ではあるんですよね。
瑞希にとっての学校の意味は勉学の場ではなく友人たちの輪に混ざれる居心地のよい場であるからであるので。瑞希にとっては進級さえできればそれで授業に出る必要がない。この辺は瑞希の「楽しいことしかやらない」「少しでも気に入らない部分は受け入れない」1か0しかない繊細さが読み取れて好きですね。まあただの不良生徒だろと言われたら否定はできませんが…。

ボク、テストの成績は問題ないはずですよね!?

この初期神高イベとの繋がりはは前イベ『君と紡ぐPrecious memories』が初期の宮女体育祭イベとの繋がりと同じ構成になっているのが良いですね。咲希と遥の失われた「普通の学園生活」と3年の積み重ねの答え合わせというか。瑞希がこのイベントから神高で楽しく1年間を過ごしてきたのはプロセカの3年間のストーリーが描いてきたもので、そして今屋上からではなく普通に補習授業のクラスという場で、中学時代は人の輪に混じることができなかった瑞希も、そして類も友人たちと過ごすことができるようになっていて、自分のことしか考えられていなかった過去とは違い今は友人の助けに自然に手助けできる余裕ができていて…。

さてここは過去イベで何度も描かれた部分なので深掘りされずに簡単にいきますが、瑞希は「変」「特別」な人として扱われることを極端に厭います。
それは瑞希にとっては自分のスタンスは「変」ではなく「普通」であるからですね。この客観を凌駕する絶対的な主観主義こそが瑞希のキャラクターのキモだったわけで、類や杏、そして彰人や冬弥や司も瑞希を特別な人間としては扱わず、対等な人間として扱ってくれたことこそが瑞希にとって神高が「居場所」になった大きな理由ではあるんですよね。まあみんな瑞希に負けず劣らず変人で自己中心的なキャラクターではありますから。

そんな中で今回のイベントでは杏が瑞希を特別扱いしなかった理由が語られました。というわけでそれを見ていきましょう。

白石杏と「街」概念の拡張

杏が誰とでも仲良くなれる理由を聞く瑞希でしたが、それは「街」で様々な人と関わった結果、ケンカしても最終的にはわかりあえるという経験則からきているというものでした。

何度も歌で勝負してると その人の歌にかける情熱とか、プライドとかが見えてきて……

これは他人とぶつかる前に距離を置くことで人付き合いを避けてきた瑞希のスタンスと対極にあるものですね。瑞希にとっては「変なの」と言われたという強烈な拒絶がトラウマになってるわけですが、杏はそれに対してバトルで応えることで和解してきたという話です。

そもそも杏は「変」とか「普通」とかそういう基準にこだわらないという話ですね。変でもわかりあえるし認めあえる人がいることを知っていたから。これは杏にとっては特別でもなんでもない話だったのでしょうが、高校でイメチェンして明らかに客観的に見て「変」な瑞希にとっては対等な立場でぶつかってくれたことは嬉しいことだったのでしょう。彰人や冬弥もある意味この「街」文化の住民であるからこそ対等な立場を築けたのかもしれません。司は…まあ司なので…。
この杏の「街」の中で生きてきた感覚が街を離れて「学校」でも発揮されているの、良い話ではありますね。
「街」は「継承」の話であるので、彰人や冬弥だけでなく、最終的に瑞希にもこのような考えが受け入れられる将来も……あるのかもしれません。

さてこの杏と「街」の話ですが、単に杏にとってのスタンスが語られたという話ではありません。これはきちんと直近のビビバスのイベントストーリーを汲んだ流れと読むこともできるでしょう。
『Light Up the Fire』そして『On Your Feet』にて杏は街の人たちが杏に対して嘘をついていたことを知り、そして大河へも宣戦布告を決めました。
杏はこの話の中で街の人や大河の行為に対してとても怒ってはいましたが、彼ら自身を嫌いになったり距離をおいたりはしていませんでしたね。これにはそもそも今回のイベントストーリーで語られたように「喧嘩をしてもわかりあえる」文脈が「街」の中で継がれてきたという話であり、かつ杏と「街」の関係が今後壊れるようなこともないという証左となるでしょう。

そしてこのイベントには杏と「街」を繋ぐストーリーに連なるもう一つの文脈があります。それが先に述べた今回のイベントで補習を受ける2つの理由のうちの1つ「なぜ勉強が役に立つか」の話です。

徒然草の読解と継承の話

というわけで杏が今回苦戦していた内容、古典・徒然草の読解です。これ、私が何度もビビバスの読解でしてる継承の話につなげられるんですよね。
徒然草の内容自体は大して重要ではなく(枕草子をリスペクトした部分なのでここにも継承があるみたいな面白さはありますが…)、過去の人の想いが文学という芸術を介して現代に継がれたという部分がキモですね。

継承とは何かというと過去の想いの継承、つまりはビビバスにおけるRAD WEEKENDの継承、そして凪の想いの継承ですね。
このイベントで最初は何を言っているか全く理解できなかった杏でしたが勉強によって徒然草に込められた作者の過去の想いを理解し共感することができました。

(もう呪文みたいな言葉じゃない。分に込められた想いが、私にもちゃんと伝わってくる――!)

ここ、先に述べた意味不明の相手とケンカしても最終的にわかりあえるみたいな文脈ともつながるのうまいこと出来てますよね。
つまりは今までのイベントで描かれてきた「杏が知らなかった・理解できなかったRAD WEEKENDの裏にあったものを受け止め理解し共感しそして自分のものとし勝利(合格)し先に進む(進級)」ことのメタファーとしても読めるわけです。

この「街の人の心を正しく理解しそれを歌に昇華しろ」は大河がこはねにコーチした「街」の話でもありますね。
小さい規模の話に戻して「無駄だと思っていた学校の勉強が他人の気持ち、歌を理解することにもつながる」です。

そしてこの理解をなしたものが補習で杏を支えてくれた「仲間の力」だという杏の解釈はアツかったです。

(みんなの応援が、優しい想いが…… 私に力をくれる……)

結局ビビバスってチームの話で「仲間がいるからできる」の話なんですが、その解釈をすでにビビバスという箱から飛び出した新たな友人たちという「仲間」に当てはめてるんですよね。この仲間がいたからできたは「街」の文脈でもある。つまり杏はこの補習を通じて神高に「街」を築いたんですよね、そろそろだいぶ怪しい話になってきたな。
まあちょっと勉強の話からズレてきましたがこの論をどこに落としに行くかというと仲間がいるならなんでもできる、つまり大河との対決でいなくなった仲間たちを取り戻せばRAD WEEKEND越えもうまいこといくぞ!過去の街の一致団結した想いに勝つのは杏の新たな仲間たち、新たな街の想いが今ここに生まれつつある…!みたいな結論でどうでしょうか。

あと燃えてる杏を見て勝手に覚醒する彰人も街で歌う杏見つけたいつもの彰人って感じでおもろかったね~補習でバトルすんのやめな。

というわけでRAD WEEKENDを超えるためにもガチで勉強しよう、『Let's study hard!』そんな感じでどうでしょうか。

おわりに

今回そんなに大きくストーリーが動くみたいな話ではなかったとは思うのですが、実質ビビバスイベみたいな文脈も込められてて新学年に向ける意思表明としてはなかなかアツい展開だったのではないでしょうか。

おわりだよ~。

プロセカ『君と紡ぐPrecious memories』感想・読解みたいなやつ

『君と紡ぐPrecious memories』感想読解書くぞ!
x.com

雑感

良かったですね、咲希のやりたかったことをやるという「始まり」を描く内容を進級前の「終わり」のタイミングでやるバランスが…。
ガチャキャラから1年組メインの話なのかな?と思っていたので蓋を開けたら宮女全体の話だったのも嬉しかったですね。
とは思いつつもキャラの掘り下げでも芸術への情熱でもない振り返りの青春の一ページみたいな内容で個人的にはいまいちテーマに共感できなかった部分はありますね…。ぼくはマジで過去に興味がない人間だから楽しかった思い出を残したいみたいなテーマが実感できないですし、それに加えてもう学生時代特有のあの「今しかない」みたいな特別感ももう大人になった今では実感できない…。

そんな個人的な話は横においておいて見ていきましょう。

咲希とやりたいことノートの話

とりあえず咲希のノートの話からしていきますか。

おかげで、絶対治すぞーって、検査とかも、前向きにがんばれるようになったんだよ!

咲希のノートは咲希が入院していた頃の心の支えとなっていたものです。
そして、退院後に学生生活を始めた咲希の背中を押してくれた存在でもあったことが星3『やりたい100のこと』のサイドストーリーで描かれていました。

体調とかが気になって、何かに挑戦してみようっていう気持ちになれてなかったかもしれない

その咲希の支えであったノートを終わらせるということは、咲希がもうノートに頼らなくても自分の力で進めるようになったという示唆に他ならないでしょう。今回のイベストでもバンドが忙しくてノートを開けていなかったというセリフがありましたが、バンド、仲間の存在がノートの代わりに今は咲希を支えているということでもあるんですよね…もう一人ではないので…。

そこまで成長した咲希があえて、ノートをフェードアウトさせるでなくきちんとノートを大事なものとして「終わらせる」選択をしたのはけじめとしても、過去の肯定としても成長の描写としてもとても良かったですね。やはりレオニは過去の絆を大事にするバンドなので、ノートが与えてくれた勇気もその存在も永遠に忘れないんですよね。今回の『思い出をアルバムとして残す』というストーリーともマッチしていたアイテムだったと思います。

咲希と遥と普通の学校生活

今回のイベントはレオニの4人がメインという趣でしたがストーリー的なキモでみるならやはり咲希と遥の2人もキモでしょう。

かなりの初期イベントになりますが、『走れ!体育祭!~実行委員は大忙し~』(2020/11/09~)で咲希は入院して学校行事に参加できず、遥は仕事で学校行事に参加できずといった共通の過去を持つ2人として、久しぶりの「普通の学校生活」に並々ならぬ感情を持ち体育祭実行委員として奮闘する様が描かれました。

ここから2人が普通…といっていいのかは別にして学校行事を満喫する様子が3年近くプロセカというゲームの中で描かれ、そしてまた遥は単位制に戻り普通の学校生活から離れていくわけで、その最後として今回のイベントがあるわけですね。

少し前の『船出の前のワンデイトリップ』(2023/05/11~)も同じテーマを描いていたのが記憶に新しいですね。
maisankawaii.hatenablog.com
『船出の前のワンデイトリップ』で咲希たちと遥は普通の学園生活を送り続けるものとアイドルとしての道を歩むものとして道を分かちながらも変わらない友情が描かれたわけですが、こう過去を振り返ってみると咲希も「普通の学生生活」を送れなかった側の人間だったんだな、咲希と遥という2人を対比する視点で見れて、少し違った印象にはなりますね。

今回のイベントでは咲希の「大好きなアイドルのライブに行く」というノートの願いを叶えるために100%アイドルとしての姿を見せ、そして「ドッジボールをする!」という願いのために100%クラスメイトとして、友人としての姿を見せました。
咲希はともかく、遥のこの「アイドルでもあり普通の学生でもある」一瞬は今しかない要素で、これを写真に収めて永遠に残していけるという話は良かったですね。「普通の学生じゃなくなっても友情は永遠に消えない」は『船出の前のワンデイトリップ』のオチでしたが、今回のイベントで写真として残したことで「普通の学生じゃなくなっても普通の学生だった頃の思い出も消えない」で失ったものは何もないんですよね、いい話です。

写真に収めることで自分が仕事の時と違ってはしゃいでることに気が付く遥も良かったですね。「自分の気持ちに気が付けないまま無理をしてしまう」は遥の要素ですから。

……素敵な思い出をくれてありがとう、咲希

「自分の気持ちがわからない」でいうならまふゆの写真も良かったですね。『弓引け、白の世界で』や『走れ!体育祭!~実行委員は大忙し~』で勝負事に熱くなっている時に一瞬だけ見られるちょっと楽しそうなまふゆの写真が今回形にして残ったのは本当に嬉しいことだと思います。

咲希とレオニードの話

最後にレオニの話も軽くしておきましょうか。
咲希の「やりたいことノート」について、当然のようにレオニの面々が協力して叶えてくれたのは良かったですね。100の項目はさておき咲希が一番やりたかったことは当然「5人でまた一緒に何かをしたい」でしょうし…。志歩が写真とることを言い出したのも良かったです、初期の志歩ならこんなこと言わないでしょうしね。

咲希が写真の中に自分を見つけるのはマジで良かったですね。

(みんなは友達と遊んだり、修学旅行に行ったり……楽しいことたくさんやってるのに、アタシはそこにいられなくて……)
(写真選ぶのも困っちゃうくらい、たっくさん思い出を作れて……本当によかった)

ここだいぶ『No seek No find』(2022/07/21~)、そして「てらてら」へのアンサー感があって面白いですよね。
youtu.be

いないいないいない!
あたしがいないよ
またしてもいないよ

『No seek No find』での修学旅行に行けずに1人泣きながらベッドに伏す咲希と今回のイベントの仲間に囲まれて1人幸せそうに眠る咲希の対比なんですよね。

まあ、しゃべりながら寝落ちしたし、お泊り会でやりたかったことはできたんじゃない?

咲希の思い出作り、1人だけでの思い出ではなく、「友人の輪の中にいる自分」「友人が見てくれる自分」の認識こそが咲希が本当に必要だった思い出作りで、それを可能にするのが「自分の映った写真」だったんですね。『君と紡ぐPrecious memories』、そんな感じでどうでしょうか。

おわりに

記事としてはとっちらかった内容になってしまった気もしますが、いざ書きはじめてみたらなんだかんだ要素拾えたんじゃないかと思います。
おそらく次は神高のラストイベント?になるんですかね。宮女とはまた違う結論が見たいところです。

おわりだよ~。

プロセカ『セカイに響け!Your Song』感想・読解みたいなやつ

『セカイに響け!Your Song』感想読解書くぞ!

雑感

いや~良かったですね。
今回はバーチャルシンガー(ボーカロイドキャラ)メインのイベントで、内容としては「みんなの背中を押して応援したい」という理由でバーチャルシンガーが歌(ステージ)をプロセカのキャラクターたちに届けるというだけのイベントでしたが、その過程としてプロセカにおけるボーカロイド哲学・初音ミク哲学とも読み取れる描写が多くなされており、面白いイベントストーリーだったなと思います。

いわゆるボカロキャラクター概念についてはボカロ文化を良く知らないままプロセカをはじめ、わからないままプレイしてきた私だったのですが、流石に最近は多少初音ミクというキャラクターがなぜ愛されているのか、どういう存在かというものの片鱗がつかめてきており、今回のイベントはそのようなボカロの魅力をわかりやすく言葉にしていたものだったと思います。

というわけで今回はイベントストーリー自体の読解からちょっと趣向を変えてプロセカというゲームが描く初音ミクボーカロイドの役割について考えてみようと思います。せっかくなのでプロセカを知らない人でも多少は読めるように書いてみようかな…。

プロセカにおける初音ミク・バーチャルシンガーって何?

まずプロセカにおけるボーカロイドキャラ、バーチャルシンガーの位置づけについて整理しましょう。

プロセカの正式名称『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』の名の通り、ストーリーのメインとなるキャラクターはプロセカオリジナルのキャラクターであり、初音ミクをはじめとしたバーチャルシンガーたちは音楽ファイルを再生することで入ることができるセカイという仮想世界で各キャラクターたちを応援し導いてくれるという脇役ポジションのキャラとなります。

つまりはバーチャルシンガーたちを現実空間には存在しないキャラとして描いているんですよね。
現実世界でキャラクターたちが悩み行き詰ったときにセカイ(仮想空間)でバーチャルシンガーがアドバイスしたり背中を押し、それによってキャラクターは現実世界で問題解決する、というのがプロセカのストーリーの基本構成になっています。
このストーリー構成、私は最初ストーリー上バーチャルシンガーの存在いらないでしょってずっと思ってたんですよね。バーチャルシンガーのアドバイスは基本的に前置きなく唐突に出てくるもので、はっきり言ってデウスエクスマキナですし、一部をのぞけばセカイを挟まなくても現実世界だけで完結するような構成のストーリーの方が多いです。
ぶっちゃけ初音ミクの名を冠した・ボーカロイドをテーマにしたゲームとしてボーカロイドキャラを出さなきゃいけないというノルマ的な出番だとずっと思ってたんですが、最近ちょっと違うのかもということがようやくわかってきたんですよね、何かというとこのバーチャルシンガーのアドバイスって超自然的な存在からの啓示、つまり天啓なんですよ。つまりはボーカロイドキャラ文化・初音ミクという信仰における神との対面なんですよねこれって。おっと雲行きが怪しくなってきたぞ。

ちょっと神とか信仰という言い方に問題があったかもしれませんね。要するにボーカロイドってただの音声ソフトであってそこに人格はないじゃないですか。
その中でそれをキャラクターとしてその存在を擬人化したものを神、現実世界にはなくともそこに人格があるキャラクターであるようにふるまうことを信仰くらいに認識してください。
そして音楽ファイルを再生することがセカイに行く方法、つまりは現実世界で悩んだ時にボーカロイド曲…に限らず音楽を聴くことでその悩みを紛らわしたり、ヒントをもらえたり背中を押してもらったりする…ということ、つまりは人生において音楽が救いになるという祈りを擬人化したキャラクターが応援してくれることで表現するメタファーとしての一面があるんですよ。というか今回のイベントで直接それが言葉にされていますね。

歌も同じ――直接誰かの悩みを解決できるわけじゃないけど、誰かの心を震わせたり、寄り添ったりできる

これがプロセカが描く「歌の力」そして「現実に存在しないボーカロイドキャラの持つ力」のコンセプトかと思います。
ボーカロイドキャラはボーカロイドソフトの擬人化・そして音楽におけるボーカルの擬人化ではあるのですが、それだけでなく音楽・曲・歌詞の擬人化でもあるんです。歌に人格を持たせることでより音楽の「人の背中を押すことの出来る存在」としての強度が上がっているんですよね。

初音ミクはなぜたくさんいるのか

プロセカに限らず、初音ミクの特徴・面白さとして色々な設定だったり衣装の初音ミクがいるということが挙げられます。個人製作の楽曲MVの中だけでなく、広告やコラボ案件などで日々いろいろな初音ミクが描かれ生み出されています。
プロセカにもそれは反映されています。プロセカには現在5つのセカイがあり、それぞれのセカイに外見も性格も異なる個性豊かな初音ミクが存在します。それに加えてセカイの狭間という場所で一般的なイメージの初音ミクがプレイヤーに話しかけてくる存在としているので6人の初音ミクがいるわけですね。

そもそもプロセカというコンテンツにおいてなぜ初音ミクがたくさんいるのかという話ですが、これを説明するにはセカイという設定に踏み込む必要があるでしょう。
プロセカのストーリーに登場する仮想空間、セカイとはキャラクターの強い想いによって生み出された空間です。
そのためこのセカイの住人である初音ミク・バーチャルシンガーたちもキャラクターの想いから生まれたとみるのが自然でしょう。

例えば空虚な想いを抱えたキャラクターが現実逃避の場として生んだ「誰もいないセカイ」の初音ミクは無表情であり、みんなを笑顔にしたいという想いを抱えたキャラクターが生んだ「ワンダーランドのセカイ」の初音ミクは表情豊かな道化師といったように、同じ初音ミクでも真逆のイメージを持つキャラクターになりえるんですよね。これは同じ初音ミクの衣装が変わったとか外見が変わっただけの話ではなく、「初音ミク」という人格自体が別のキャラクターとして存在しているんですよ。

「誰もいないセカイ」の鏡音リンと「セカイの狭間」の鏡音リン

セカイ自体は複数人の想いでできた想いだったりするので厳密には異なりますが、バーチャルシンガーとの対話は自分の想いが作り出したキャラクターということである意味自己対話のような一面もあるわけですね。

セカイに入るときには音楽ファイルを再生するという説明をしましたが、この音楽ファイルもセカイと同じようにキャラクターの想いでできたものであり、そして歌となったものです。この作品における「音楽」と「キャラクターの想いが生み出したもの」はある意味同義であり、つまり「作曲者の想いの数だけ初音ミクが生まれる」であるという作曲ソフトとしての性質を解釈したものでしょう。逆に「音楽」と「キャラクターの想い」を切り分けて考えるならクリエイターに限らず「曲を聴く人の数だけ初音ミクが生まれる」「初音ミクをキャラクターとして認識した人の数だけ初音ミクが生まれる」という読み方もできるでしょう。

つまり、この作品における初音ミクって「初音ミクがゲームに登場している」のではなく「ゲームの中の想いが初音ミクを生んでいる」なんですよね。
じゃあ初音ミク(の人格)って人がミクを認識した瞬間に1から生まれる概念なのかっていうとそうでもない、それとは別に生み出された初音ミクにはその元ネタとなる初音ミクという大元の存在があるんですよという話をしていきましょうか。

初音ミクという存在の「デカさ」

プロセカに登場するバーチャルシンガーたちは現実世界のキャラクターを導く存在であるという話をしましたが、基本的にはバーチャルシンガーたちはプロセカにおいて高校1~2年生の音楽活動をしているキャラクターたちより実力を持つ先輩演奏者・ボーカリストとして描かれます。
私はもういい年してるので初音ミクなんて最近出てきたソフトだよねくらいな印象持ってるんですけどなんだかんだ初音ミクももう16周年ですよ。つまり高校生のキャラクター・プレイヤーたちからしたら下手したら生まれる前からずっと数えきれないほどの人の想いを背負い歌を歌い続けてきたという歴史を抱えたすごい存在なんですよ。
そういった歴史へのリスペクトの文脈がちゃんとプロセカの初音ミクたちにはのってるんですよね。各キャラクターが想像する理想の存在として。

そのすべてのセカイ・すべての初音ミクを見守ってきた存在として「セカイの狭間」の初音ミクが今回掘り下げられたことで各セカイの初音ミクの存在が、「一般的な初音ミクとは異なり、しかし初音ミクであるもの」として改めて認識できたと思います。

「セカイの狭間」の初音ミクの存在は以前から描かれていたんですが、今回のイベントストーリーでデフォルトの初音ミクたち、つまりセカイの狭間のバーチャルシンガーたちとキャラクターたちが生んだセカイのバーチャルシンガーが邂逅する様子が描かれたのは良かったですね。

わたし、いつもキミのことを見てたんだ!(セカイの狭間のミク)

これってプロセカのストーリーの中で同じ想いを持つキャラクターたちがセカイにいざなわれたのと同じなんですよ、つまりセカイのバーチャルシンガー自体が人間と同じように「みんなを応援したい」という同じ強い想いを抱えて「???のセカイ」に集められたというのはバーチャルシンガーが人間と同じように強い想いを持っている、つまり人の想いで生まれた存在が新たに何かを生み出そうとしている・生み出せるようになっているという話なんですよね。

ボーカロイドが歌ってくれると…うれしい

最後に、ボーカロイドが歌うことの意味について話しましょうか。

今回のイベントストーリーでは最後にバーチャルシンガーたちがキャラクターたちが作った歌を歌うシーンがあります。
このへん各セカイのキャラクターの解釈が面白かったですね。
ボーカロイドに自分の曲を違う歌わせ方をすることが勉強になる、違う印象のアレンジとして評価できる(ストリートのセカイ)
・自分の振りを躍ってもらうことで(MMD?)客席からの視点で客観視できる。異性に踊らせることでパワフルな印象を出せる(ステージのセカイ)
・自分の曲を他人がやること自体がすごい(教室のセカイ)
・落ち着く・あたたかい、何を考えているかわからないがいい歌(何もないセカイ)
これ全部このストーリーだけでなくボーカロイド全てに一般化できる話ですよね。

ボカロ曲って基本的にまずボカロが歌うバージョンが出る→人がカバーするって流れになるのが普通だと思うんですが(仮歌として使う場合もそうでしょう)、プロセカってまずキャラクターが歌うバージョンがゲーム内で出てからボーカロイドが歌うバージョンが公開されるから逆の流れなんですよね。
私は正直人間が歌うバージョンがあるならあえてボーカロイド版を聴くこともないかなくらいの気持ちではあったんですが、最近ボカロ版の良さもちょっとづつわかってきたような気がしますね。

そしてこのイベントの締め、ワンダーランドのセカイでミクたちが見せたステージ『笑顔の魔法使い』はプロセカでも屈指の名イベント『ワンダーマジカルショウタイム!』(2021/06/11~)で現実世界でたくさんの観客を巻き込んで披露された演目ですが、今回はセカイの中でキャラクターたちのためだけに演じられました。このストーリーの中で再度演じられたことで、同じセリフでも全く違う意味合いとしての良さが出ているという再演の面白さがしっかり出ていたと思います。

いや、お前だけじゃない。みんな魔法使いなんだ。この場所にいる、みんなが――

ここはもちろんミクが今までのストーリーでキャラクターたちから受け取ったものを返し応援したいという文脈が乗っているのもありますが、この演目が描く「ひとりではない、みんなの力」におけるみんなの力、つまりは初音ミクという「群体」だからこそ持てる力の概念もまた魔法だという解釈もできて面白いんじゃないかと思うんですよね。

(がんばって、ミクにできることで応援していきたいな)

人の歌が人の手から離れてボーカロイドが歌う意味、『セカイに響け!Your Song』。そんな感じでどうでしょうか。

おわりに

面白くないですか?初音ミク群体解釈概念…。
いや正直一般的なボカロオタクの皆さんがいっぱいいるミクのことどういうとらえ方してるのか全く知らんですけど…。

プロセカにおけるバーチャルシンガーのキモってやっぱり「ミクたちがぼくらのことを見守ってくれてる」「いつでもずっとセカイで待ってる」概念なので今回のイベントでそれをさらに上位存在のミクが見守っているみたいな描写が描かれたことで現世を見守る”神”としての格が上がったような気がしますね…。

おわりだよ~。

プロセカ『あたしたちのハッピーエンド』感想・読解みたいなやつ

『あたしたちのハッピーエンド』感想読解書くぞ!!

雑感

デカすぎる!!!!!!!!!!!!!(感情も器も…)
ひたすら匂わせて引っ張ってきたえむの夢と別れの話をこのイベントストーリー1本でしっかり解決したの本当に偉い!
シンプルに「原点回帰」としてメインストーリーの公演に現状を重ねた上でワンダショ3年間の積み重ねで予想をガンガン超えてくる良さがあり…とにかく良かった…(語彙力)。

そんな感じで見ていきましょうか。

神代類の演出について

まずは類の話からいきましょうか。そろそろ動くか…♤みたいなことを最近のイベントでずっと発言していましたがようやくですね。
1人でえむの兄たちに独立を掛け合う類、読んでる途中はおいおいそれは1人で言うことじゃなくワンダショの4人で話し合ってから持ち掛けるもんだしえむは同意しないだろうちょっと自分勝手に話を進めていないか?と感じていましたが、その後の会話でわかるようにこの「独立の話を掛け合うこと・それをえむに伝えること」自体はただの根回しで本当に必要なのは「ワンダショの4人で独立の話をすること」だという自覚がしっかりあったのは素直にやられましたね。

しかしまさか、ひとりでえむの兄達に話しに行っていたとはな。水臭いではないか!(司)

いや普通メンバーで話し合ってからそれを経営者に掛け合うのが筋じゃないですか。でも違うんですよね。類にとってはワンダショの全員にこの独立の話をすることの方が大事で、じゃあその話し合いをする上で必要なこととして「そもそも独立が認められるか・できるのか」という部分ははっきりさせておいた方が話が早いんですよ。この辺は司や寧々のように真っすぐに夢に向かう形でなくその舞台を用意する演出家としての類らしさで、でも普通の人には出せない類らしい発想で、そして3人の気持ちに配慮したもので良かったなと思います。「ぬか喜びさせたくない」、笑顔を守ることがテーマのこのイベントストーリーでとてもいい発想だと思います。そう、本来喜ばしいことであるべきなんですよこのフリーランスでの独立は…。

鳳えむをなぜワンダショは止められないのか

えむがなぜフリーランスの話に乗り気でないのかを考えていきましょう。
はえむも「世界のみんなを笑顔にしたい」という司や寧々、類と同じ夢を持っているはずと語り説得を試みます。

僕達は全員、自分達のショーで、世界中の人を笑顔にしたいと願っている

しかし、えむはワンダーステージを守るために残ることを選びます。
これをなぜワンダショの4人が簡単に否定できないかというと、「かつてのワンダーステージが閑散としていた時期を知っており、えむやワンダショの強引なやり方でなければワンダーステージがなくなっていたことを事実として体感しているから」に他ならないでしょう。
メインストーリーでのワンダーステージは公演ができるような状態ではなかったですし、過去イベ『スマイルオブドリーマー』~『ワンダーマジカルショウタイム!』ではかつてのフェニランが失われていく様子が描かれ、それを守るためにワンダショの4人が奮闘する様子が描かれました。

だからこそ、4人にはフェニランを守りたいという気持ちも、守る存在が必要だという気持ちもわかってしまうわけですね。

回想で描かれたワンダーステージが「どんな世界にもなれる」場所であることもえむにとっての重みが「外の広い世界」と等しく対等な存在であることが示されていて良かったですね。

えむも、笑顔になりたい時は、ここにおいで。きっと素敵な世界に連れていってくれるはずだよ

だからこそ外の世界は司たちに託してえむはフェニランという世界を守る、今までなんでもできた私たちにならそれができる。決して置いていかれる形ではなく共に対等な夢を叶える形ではあるんですよね。

その中でその「フェニランはワンダショの誰かが守らなければならない」を否定できるのがまさに『ワンダーマジカルショウタイム!』でワンダショによって心境を変化させ、宣伝公演ではワンダショとともに歩んできたえむの兄たち、そしてそれだけでなくワンダショと共にフェニランで共演してきたフェニランの演者、青龍院櫻子たちという説得力は本当に良かったです。

お前の夢は――もう、俺達の夢でもあるんだからな

そして学びいずれフェニランに帰ってくることがフェニランを守るという夢にもつながっていることなんですよね。

いや~、継承と永遠の話ですね。えむ祖父の思想がえむに継がれ、それが改めてワンダショを通してえむ兄やフェニラン全体に継がれ、そして改めて観客の女の子にも伝わっていくかもしれないという話です。青龍院櫻子も『ワンダーマジカルショウタイム』で語られたように子供の頃にフェニランで影響を受けて役者を志した1人ですからね。
ワンダショが3年かけてこのフェニランを取り巻く人たちの変化を描いてきたからこそできる継承なんですよね。いい話すぎる…。

『旅の一座の物語』について

かつて類をワンダーランズ×ショウタイムに留めた演目、『旅の一座の物語』の話をしましょう。
この物語は、かつて3人から別れワンダショから離れようとした類に司が自分の気持ちを素直に伝え、そして観客から舞台へと連れ戻したものでした。
今回のイベントでも舞台で活動を続ける3人とそれから離れる1人ということで、かつての類のポジションがえむになっているのは面白いですね。今回は類が引きとめる側なのが…。
バーチャルシンガーたちの公演する『旅の一座の物語』は、永遠に4人でのショーを誓った原作版から内容を改変し、離れていてもまた再開し仲良くショーができるという内容で、ワンダショの一時的な別れを肯定するものでした。

(こっちのあたし達は、バイバイしても、またみんなでショーをやれたんだ)(えむ)

この内容は永遠を生きるボカロならでは感ありますね。いつでも曲を聴けばまたあなたのそばにいる。「セカイで待ってる」要素です。

それはさておき、この演目はもともと先ほども書いたように司の「みんなを笑顔にするショーがしたい」という自身の本当の気持ちを誤解されないよう類に伝えるためのものでした。しかしこのバーチャルシンガーの公演を見るえむは、着ぐるみを着て本当の気持ちを隠しています。その気持ちとは当然「みんなと一緒にショーがしたい」ですね、「自分でしまって忘れてしまった台本」だからこそかつての類や司のように真っすぐにこのステージに上がれない。

最後にみんなを笑顔にできない、「共にステージにあがる資格」の話でもあるんですよね。きちんと笑顔で笑えないなら観客を笑顔にできない、観客を笑顔にできないなら共にステージに上がる資格がない。本当にプロ根性の塊なんですよね。

そんな中で笑顔でなくていいと語る司の存在は本当に良かったですね。

今ぐらいは……いいんじゃないか?

泣いてもいいんですよ、役者でもプロでもない、1人の子供として、高校生としての立場で仲間との別れを悲しんでも。
このへんの『プロとして直接力になることはできないが寄り添ってくれる仲間の存在が力になる』は直近の『天の果てのフェニックスへ』や『カナリアは窮境に歌う』でも描かれたものですね。

だからこそちゃんと自分の気持ちに向き合い子供のように泣くしかないここで「大人」の介入による解決、えむの兄たちが高校生だからこそ外の世界を見に行くべきだという道を示してくれるのは本当に良かったですよ。ここまでのプロセカは比較的大人の言いなりにならない自立した人間としての活動を描いていて、ワンダショはその中でもプロとしての立場が強く描かれていたと思うのですが、その中でどうしようもなくなってしまったときに道を示してくれる大人の存在があるのは嬉しかったですね。

ところでこのへんの「子供の決めた夢への道を大人視点で否定する家族」「将来のために学んで来い」みたいな要素は直近のニーゴのイベスト『仮面の私にさよならを』のまふゆ母をも思わせるセリフで面白かったですね。しかし現状のようにえむが家族と良い関係が築けているのはえむたちが何度もぶつかり合い夢を真っすぐに語り合った結果ですので、まふゆにもめげずに仲間と共に何度も挑戦していただきたいところです(無茶言うな)。

最終的なワンダショの『旅の一座の物語』最終公演は、青龍院櫻子に村を託して4人で旅立つところで終わり、エピローグでショーをずっと続けたことのみ語られるわけですが、作中で描かれていないにしても当然VS版のように村に帰ってきていい公演したのでしょうし、それは3人と1人のものより当然いい公演だったのでしょうね。改めて考えたらそもそも旅の一座なんだから村を出て旅してなんぼだろという感じではあります。セカイはまだ始まってすらいないんだよな…。

改めてこうして振り返ると二つの想いの共存に対する問題解決についてはかなり他人任せなオチでキャラゲーの成長譚としては物足りない気もしますが……まあその他人のあり方を変えてきたのがワンダショですからね。ワンダショというか鳳えむについてはやっぱり単体で強すぎて完成されてる人間ですし、たまには他人に頼ってほしい・頼れる他人がいることに気が付いてほしいですし、経緯はどうあれハッピーエンドが一番最高ですからね。1人じゃない、あたしたちのハッピーエンド。そんな感じでどうでしょうか。

おわりに

ちょっと記事の構成がうまいことまとまらずストーリー的には前後しちゃいましたね…まあこの記事自体基本思いついたこと書いてるだけのメモ書きみたいなもんだしいいかな…。
NEXT演出イベのトリを飾るにふさわしいワンダショの歩みを感じられたとてもいいイベントだったと思いますね、進級後何が起こるのか楽しみです。

おわりだよ~。