なんもわからん

さっき作った

Re:ステージ!ドリームデイズ♪ n周目視聴後感想・考察とか

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高尾山で撮ったポスターです
いえーいみんな、Re:ステージ!ドリームデイズ♪のアニメ全12話、最高だったね!

え?まだ見てない、コミカルな作風でありながらその裏では音楽によって人と人は繋がれる、音楽によって人は夢を取り戻せるというテーマを何重にも複雑に、そして真摯に描いたこの傑作をご存じない!?
じゃあ1年に1回使えるこのアニメみてくださいオタクチケット使うから見てきてください頼むわ…。1,2話はYoutubeで無料(ニコも1話は無料です)、そして残りもdアニメストアなど各種アニメ配信サイトで好評配信中!(2019/11現在)
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ちゅーわけでアニメを見終わった人向けにアニメを振り返りながら感想やら考察を書いたりしていこうかなと思います。
というのもこのアニメ、普通に見ても素晴らしい作品なんですけど単純に前から順に見て全てを理解をするのが難しい構成になってます。話の流れ自体はわかるんですけど各キャラクターの心情や過去が後から明かされていくという都合上2回目以降の視聴で改めて気がつくポイントが多いんですよね。
さらにこのアニメは楽曲をストーリーの中心として作られているため、作中後ろで流れている曲の歌詞を改めて意識しながら視聴することでキャラクターの心情を拡大解釈できることも大きいです。目指せ聖徳太子
とにかく作中で直接語られていないメッセージ・感情をなんとかして視聴者として受け取りたい、何故ならRe:ステージのテーマは想いを伝えることだと思ってるから…。というのは建前でオタクが早口で作品語りしたいだけなんですが…。

まあそんなこんなで2周目以降の視聴も楽しいアニメなんじゃないかなって思います、でも1周で全てを理解できる強いオタクになりたかった…。

ぼくはもうこのアニメ何周見たかわかんないですけどまだまだ見るたびに新しい発見がありますよ…。
というわけで改めてアニメを見返しながら感想やら考察やら妄想やらを書き殴らせてください。

そしてみんなもRe:ステージ!ドリームデイズ♪をもう一度見よう、何度も何度も何度も思い出して…

※ここから先は1度最後まで見て先の展開、設定を知っていること前提で話を進めていきますのでネタバレ全開となります。ご注意。


Re:ステージ!ドリームデイズ♪の面白さ

アニメを振り返る前にぼくがRe:ステージ!ドリームデイズ♪(以下リステDD)について評価・面白いと思っている話の構造を簡単に説明させてください。
…簡単に説明しようと思ったら想定よりもめんどくさい話になったし特に結論も大したことないしクソ長い(約6千字)ので感想だけ読みたい人は飛ばしてくれて問題ないです。

過去と向き合うストーリー

まずこのアニメはストーリー上発生するイベントにおいて、基本的に偶然あるいは視聴者の観測不可な外的要因によって発生するものがありません。
過去から現在にかけてのすべての出来事がキャラクターの心情の変化、そしてそれに伴う決断・行動によって発生したものとして進行します。突然の機材トラブルとか天候による横槍とかそういうやつは一切ないわけです。

長谷川副会長の妨害とか紗由母の乱入とかステラマリスコールとかそういったアクシデントもきちんと各キャラクターの決断・行動によって引き起こされたものとして描かれています。こういうところがきちんと描かれていると考察のしがいがあってオタクは嬉しい。

さらにいうとリステDDのストーリーは基本的に『過去に出来なかったことが心情の変化によって出来るようになる』という文脈で描かれています。

大まかに言うと

①:過去にあるキャラクターの心情に起因する問題が発生していた

②:そのキャラクターがその問題を妥協・諦めることを決断したという過去がある

③:作中ストーリー上①に似たシチュエーションの問題が発生する。

④:キャラクターは①・②の過去によってこの問題を遂行することが困難であると感じている

⑤:キャラクターは他のキャラクターの行動に共感し、ある心情を思い出す

⑥:その心情の変化は、②の決断をしたときには忘れていたものである

⑦:心情の変化が直接的、あるいは間接的にキャラクターに決断をさせ、②に類似したシチュエーションの問題③が解決される。

というものです。
この過去と類似したシチュエーションに再び向き合うことになる文脈が頻発します、というかほぼ全てがこの文脈で描かれるといっても良いです。


1話を例として簡単に挙げるならば舞菜は『①自分の歌と踊りによって他人が嫌な気持ちになったことが嫌で②部活をやめた過去がある。③部活に誘われるが④過去と同じ状況になることを恐れているが⑤紗由と一緒に踊り、説得されたことで⑥歌と踊りの楽しさを思い出し⑦部活に入部する』といった感じです。

これだけであれば普通の作品でもよくある話ですが、リステDDの面白いところはこの文脈が多重になっているところです。例えば作中では描かれていない箇所は妄想補完になってきますが、③の部長が舞菜を誘った行動は瑞葉の『①部活をやりたかったが②部員を集める事ができなかった。③④その年までほぼ活動をしていなかったが⑤紗由の入部に影響されて⑥部活動を再開し、⑦強引な部員の勧誘を再開した』という過去があっただろうという文脈からきていると予想できます。瑞葉の⑦が舞菜の③になっているわけです。

さらに舞菜の⑤での紗由の行動からも『①アイドル活動をしたかったが②親の理解が得られなかった。そのため③舞菜の活動内容を理解せず入部しようとする発言を④許容することができなかったが、⑤舞菜と一緒に踊ったことで⑥アイドル活動の楽しさを思い出し⑦舞菜と一緒に活動したいと思うようになった』という文脈があるわけです。(これは1周目の視聴ではわからない部分ですが)舞菜の⑤と紗由の⑤がリンクしてるわけです。もっと言うなら反対されてたけどなんやかんやで謡舞踊部やってる結果を紗由の⑦として舞菜と瑞葉につなげられると読み取ってもいいと思います。

さらにいえばこの舞菜の⑦、入部がさらに次の話のキャラクター、かえだったり香澄だったりの⑤、変化のきっかけとなっていくわけです。

人と人とのつながりにより状況が好転し、その結果がまた新たに人を動かしていく。
創作においてよくある文脈ではありますが、流石にここまでの密度でこの文脈を1クール12話徹底してリンク・繰り返した作品はなかなかないと思います。


また、基本的に外部からの問題、例えば舞菜の過去の場合であればアイドル部員からの迫害であっても、作中でフォーカスをあてて語られるのは舞菜がそれによって転校を選んだ、それは何故だったのか、という心情、決断に対してです。アイドル部員が悪いのは明らかなのですが、他人の感情を否定・断罪したりはしないんですよね。
さらにこの文脈で過去を乗り越えるときに過去にうまくやれなかった心情も否定しないんですよ。心情の変化に関して、過去の気持ちを否定するわけじゃなく忘れていた気持ちを思い出したから違う決断ができたという体で語られるんです。むしろ転校したことで、新しい仲間と出会えたといったように徹底して全ての人間と感情を全肯定するポジティブな論理展開がされるのが本当に美しい作品だと思います。

作中における『楽曲』の存在

リステDDを語る上で欠かせないのが楽曲の存在です。作中で実際にキャラクターが歌うことになる楽曲の話です(これ何て呼べばいいんですかね、劇中劇的な…劇中歌は辞書引くと単純に挿入歌の意味っぽいですし…)。
曲が単純に素晴らしいとか演出面での曲の使い方が最高とかもあるんですけどストーリー上の楽曲の役割について。

前項で説明した文脈にあたる、キャラクターに過去を想起させ、忘れていた気持ちを思い出し、行動に踏み切らせるものとして高頻度で描かれるのが作中における歌と踊り、音楽です。

リステDDの話から少し外れて、アイドル作品における作中楽曲の役割は色々あると思うのですが、基本的には大きく分けて2つ、作中の歌い手であるキャラクターの感情を表現し、聞き手となる不特定多数の観客視点を媒介として視聴者に説明する手段として使われるものと、もう1つが歌い手となるキャラクターが聞き手のキャラクターにメッセージを伝える手段として使われるものかと思います。これはどちらか片方のみというわけでもなく、両方の効果を狙う場合も多いです。リステDDはわりかし後者よりの作品だと思います。

リステDDにおける楽曲の役割で面白いのは、歌い手が歌に込めたメッセージと、聞き手が受け取るメッセージを個々人で完全に独立させて多角的なストーリーを展開している点だと思っています。
例として2話のミニライブでは、歌い手である舞菜と紗由は聞き手の方を向いていません。彼女たちの歌はこの時点では仲間と一緒に活動することに対して歌われています。なので観客が部長1人とかえだけでも何も問題ないですし、強いて言うなら自分と相方の方を向けて歌っています。
一方で聞き手としてこのミニライブを聴いたみい先輩と香澄は嫉妬であったり懐古であったりと個別の感想を得、その後のストーリーにつながっていきます。この多様性が面白さのキモだと思います。

この「曲の解釈は聞き手次第」とした文脈は、同じステージだけの話に留まりません。先程の2話のミニライブで使われた楽曲『ミライKeyノート』は1話で舞菜と紗由の心を動かしていますし、2話でかえを動かしたのもCDに収録されたこの曲です。そして過去に香澄がここぱんなに夢を譲った際の曲でもあり、4話で瑞葉がみい先輩とターンを成功させたときの曲でもあります。『ミライKeyノート』はボイスロイド・ここぱんなの曲ですが、同じ曲、同じ歌詞から違う共感を得ることができ、そしてKiRaReの6人にとって別々に大事なエピソードも付随する曲、言うなれば「聞き手・歌い手が主役の曲」として描かれます。

作品の話からはちと外れますが「聞き手が独自に解釈して歌い手の意思とは別に勝手に共感する行為」は主語を広くしてアイドルファン、音楽ファン全体が共感できる文脈だと思っていて、「この歌詞は俺のために書かれている」「この曲は俺にとっての思い出のエピソードがある」みたいな曲が誰にでもあると思うんですよ。そういう感情を物語の中でここまで細かくストーリーに落とし込んで肯定してくれたのが音楽に対してとても誠実で好きなんですよね。歌い手が込めたメッセージを、物語の主役たちだけでなくただの脇役である聞き手が「自分のための曲」として落とし込んでもいいんだ的な。

こうして聞き手側からの視点・経緯を描いたことで、『キラメキFuture』そして『OvertuRe:』という2つの楽曲が作り手・歌い手として、6人・KiRaReの曲として、「自分たちの曲」としてしっかりハマってくるわけですね。

さて作中楽曲の使われ方としてもう1つ面白い部分があります。次は聞き手としてだけでなく歌い手の視点も絡んできます。
それは、他者とのコミュニケーション・説得において、一度目は言葉での説得に失敗し、二度目に楽曲を聞かせることで説得が成功するというものです。
2話のかえ勧誘などが顕著ですね。
これは前項で説明した文脈の中では、説得される側の内面・感情として処理されます。説得の手段が楽曲である必然性はないのですが、その前に言葉による説得に失敗しているという前提があることにより、楽曲・ステージという手段によるコミュニケーションが言葉よりも優れているという認識を視聴者に与えます。この展開の積み重ねが9話や12話の楽曲の力の説得力にもつながっていくんですね。

ただし、これとは順序が逆のパターンの展開も作中には頻出します。
まず楽曲あるいはステージにより影響を受け、その後に言葉による説得により聞き手が決断するというものです。
1話の舞菜であったり3話の香澄が該当します。
しかし、これも説得が成功する要因は最初に「楽曲により聞き手が忘れていた心を取り戻したこと」と明確に示されています。
つまり楽曲は優れたコミュニケーション手段ではあるが、行動に至るまでには聴くだけでは足りない・もう一歩踏み出す必要があるという文脈があるんですよね。

楽曲には人の心を動かす力があるが、動かすのは心だけです。人自身を動かすにはもう一歩を踏み出す勇気が必要です。
作中ではその勇気を与えてくれるのが仲間の存在です。

ですがこの部分、仲間でなくてもいいと思うんですよね。これ自体がリステDDの作品テーマであると思っていて、「楽曲・ステージは忘れていた感情を思い出させてくれる素晴らしい存在である」そして「忘れていた気持ちを思い出せばそこからもう一歩踏み出すだけで出来なかったことは出来るようになる、未来は変えられる」。
この美しい文脈を視聴者は勝手に自分に当てはめて忘れていた感情を思い出し、そして既に思い出していることを自覚したのであれば一歩踏み出すことで諦めていたことに再挑戦することができるんです。
つまりはこのリステDDの文脈を視聴者に当てはめることができる。そして視聴者と作品内のキャラクターを繋ぐのが楽曲の存在であるとも思うのは流石に楽曲賛美が過ぎますかね…。

リステDDにおける「共感」

前項、前前項の話にもう少し突っ込んでいきます。キャラクターが楽曲を聴き、あるいは他キャラクターとの対話により、影響を受けた際の「共感」についての話です。

リステDDは人と人のつながりによって話が動く、仲間との絆を描く作品でありますが、一環して「他人の意思を曲げる」行為に対してはかなり慎重な描写がされていると思います。
これを描写するために3つの共感が描かれていると思います。

第1の共感は自分の感情を想起させるものです。
キャラクターは他人とのつながりで影響を受けますが、その影響によって生まれるのは新しい感情ではありません。
他人から受けるのは共感ですが、それにより取り戻すのは自分が本来持っていた、忘れていた感情です。
前項で書いたように共感は受け手が自発的に、勝手にするものであって、相手の意思によって引き起こされたものではないわけですね。


第2の共感は仲間との絆です。
これはかなり単純でわかりやすいです。

第1の共感により仲間の行動により達成不可能と諦めていた問題を解決することが出来た。

仲間がいればどのような問題がこの先に出てきても解決することが出来る。

仲間と共に有ることは素晴らしい。

言ってしまえばこれだけの論理展開ですが、達成不可能である理由を明確に描いているため、説得力があります。
第1の共感で得た感情は、個々人のもので仲間と同一のものではありませんが、だからこそ違う感情を持った仲間同士が同じ目標を向く美しさがあります。


そして第3の共感、他人へ自分の感情を伝えようとする干渉です。
基本的にリステDDは自分の感情と向き合う話ですが、そのきっかけとして必ず他人(仲間)からの干渉を必要とします。
しかし、リステDDは他人への干渉に関してとても臆病です。
単純に相手に希望をしたところで、それは通らないものとして描かれます。
何故ならリステDDにおける決断は、他人からでなく自分でしなくてはいけないものだからです。
そのため、自分の気持ちを伝える以上の干渉は正しくありません。それにより相手が共感を得、変わることができるかは相手次第です。
そして相手に共感を産ませる干渉は必ず仲間との絆という動機付けによって引き起こされます。循環参照になっていますが先程説明した通り、仲間との絆は達成不可能な問題を解決することが出来るのです。

そしてそれを受け取った相手は、改めて第1の共感を得ていくわけです。無限ループ!


この3つの共感は1話から12話まで一貫して全ての話で描かれますが、各話内でどちらに比重を置いているかは異なります。
「相手から影響を受け自分の気持を取り戻す」が前半1~4,6話あたりで、
「仲間との絆」は5,7,8,11話の中盤~終盤の主題となります。
「他人へ感情を伝えようとする」が9,10,12話でしょうか。
このように順を追って描いていくことで終盤にキャラクターがステージで感情を伝え、他人を動かす事ができることの説得力となり、かつ全ての話でこの3つの共感を描き続けてきたことも文脈を強化します。

他人に影響を受け自分の気持ちに向き合い、その向きが次第に仲間の方を向き、そして他人をも動かすことができる。リステDDは終始このテーマで描かれています。


この共感を描くため、作中ではキャラクター間で徹底的に明示的、非明示的な対比がなされます。それを読み取り、あるいは想像で補完しながら見てると楽しいかな~と思います。

第1話 「くっつけて、謡舞踊部」

さてここから感想…いや感想というか見どころ紹介というか妄想考察こじつけみたいな感じですすめていきます。
アニメ各話のシーンを個別に見ていきます。

このアニメは高尾山のカット、スクリーンに映る「今年も始まる、熱き夏のステージが…」のナレーション、そしてステラマリスの楽曲『Brilliant Wing』から始まります。

順を追って見ていきましょう、このアニメは基本的にキャラクターの視点で物語が展開されますが、最初のカットには視点となるキャラクターが存在しません。
画面に映るのは基本的にモブ、高尾山の住人さらにいえば稀星学園高尾校の生徒を含みます。
ここで視聴者が感情移入するべきなのはモブです。
「今年も始まる」のワードチョイスからは画面の映像、すなわちプリズムライブおよびその予選が当然誰でも知っている大きなイベントであることの理解、画面に出現するモブのほとんどがスクリーンに注目していることを意識し、そして流れるステラマリスの映像を見ます、なんかスゴイ、かっこいい、そういうイメージです。

これだけでリステアニメを見る上で必要なこの世界での一般人の常識(プリズムライブというイベントに注目していること、すごいパフォーマンスをするステラマリスの存在を知っている)が初見でも全て得られます、というのは流石に暴論かもしれませんが…。

ここで流れた映像が何故ステラマリスなのか、アニメを最後まで見た人にはわかりますがステラマリスはこのアニメにおけるラスボスです。ですがこの時点ではまだ雲の上の存在、非実在の象徴としての黒翼・荒野、そしてスクリーンを隔てた遠い存在なんですよね。
そしてBrilliant Wings、細かい歌詞解釈については各自歌詞を見てもらって唸って欲しいのですが、この歌は要約すれば『届かない相手に届いて欲しいと願い歌う歌』だと思います(感感俺俺みたいになってしまった…)。珊瑚視点の歌詞解釈もエモですがここは単純に碧音視点で舞菜に向けて歌う歌と見てください。

サビ入りと同時に舞菜が自動を改札をくぐって登場し、ここから視点は舞菜に変わり物語は始まります。
しかしBrilliant Wingsの音量は下げられます、聞こえなくなった歌詞は「夢を見せて 届けたくて 溢れ出す思い吐き出して 受け止めてね 私のこの声」です。このステラマリスの声は舞菜には届かないんですよね、「いつまでも見させてこのまま」の過去を象徴するかのような歌詞から逃げるように去る舞菜。碧音と舞菜のすれ違いからの相互理解はこのアニメの重要なテーマですが、ある意味ここで現状が端的に示されたとも言えます。

そしてバスに乗り、逃げた先、到着するのは稀星学園高尾校です。咲き乱れる美しい桜と共に新しい生活に目を輝かせる舞菜、見上げる空。この繊細な感情の変化に完璧にマッチした背景の変化、劇伴の美しさめっちゃ完璧やん…。

季節は春、中学1年生の春という異常なタイミング(原作小説では5月と明記されてます)での転入、式宮舞菜にとっての二度目の中学、一度諦めた、失ってしまったものにもう一度挑戦することはRe:ステージという作品の根幹のテーマであり、重要な文脈です。
Brilliant Wingsのイントロ歌詞、『break down to sing a song to you』も改めて考えるとRe:ステージ全体のテーマと重なりますしこの歌詞から作品がはじまるの、美しいですね…。


さてOP部分が濃すぎて全部見ちゃいましたが細かく全部見てるとキリがないので要点だけ進めていきます。

舞菜が部活動を探す下りです。
先生の「少しは慣れた?」の声に初日なので当然ぎこちなく返す舞菜ですが、続く「すぐにみんなと仲良くなれるわ」そして部活動を決める行為。ここへの返答は本質が異なります。
これは本校の部活動でみんなと仲良くなれず、結果として転校という最悪の結果となってしまった式宮舞菜にとって過去との対比となる文脈となっています。

一方長谷川副会長が部活を新入生にしっかり紹介するのもある意味やりたい部活に入れなかった、仲間を集めることができなかった過去を持つ長谷川実にとって過去と向き合う文脈なのかもしれませんね。
ここまで細かく全てを網羅して説明してきた副会長が謡舞踊部の説明だけ省く理不尽さは未練を感じますが…。

気になる部活を見学する舞菜のシーン、彼女が見ているのは吹奏楽部、書道部、美術部でしょうか、どれも表現に関する部活なんですよね。
自分の表現で相手を傷つけてしまった、怒らせてしまったことがトラウマな舞菜ですが、結局彼女が興味を持ったのがアイドル部でなくとも"気持ちを伝えること"であるのは人柄ですね…。


さて謡舞踊部ですが、この部室の場所を案内する張り紙、『振り返ってすぐ』なのも6人が過去と向き合う居場所を彷彿とさせる文脈があって良いですよね。
振り返ればすぐなんだよな、少し勇気を出して過去を振り返るだけでいいんですよ…。

無理やり勧誘しようとする部長とそれを止める紗由。
この二人の行動にも単純な意見の対立ではなく後から見るとちゃんとバックボーンがあります。部員を集めることが出来ず一人でやってきたが、紗由の加入により改めて部員獲得に積極的になった部長(これに関してはゲーム版の設定も踏まえるともう少し考える部分があるのだけどアニメ版にはでてこないので割愛)部長と、両親との確執でやりたいこと(アイドル活動)に反対された、上から強要されることに対する反発心がある紗由の構図ですね(同時に紗由には理解が得られなかった両親と対比して舞菜に活動を理解して欲しいという文脈もあります)。
二人とも自分の過去の問題でありながら(ある程度自分に投影してる部分はあるにしろ)それを部長は紗由のため、紗由は舞菜のためと他人のために対立できる構図が美しい…。

そしてこれに対する舞菜の「私、入部しましょうか?」は2人の会話を遮る目的もありますが、ここまで大人しかった舞菜のイメージから一変し、かなり強い語調で発せられます。目的は「廃部の危機らしいから」、そしてそれが紗由の逆鱗に触れてしまいます。
この構図、「自分の歌と踊りで周りを喜ばせたかったが、相手を逆に不快にさせてしまった」舞菜の本校でのトラウマと同じなんですよね。
しかし紗由の素早い謝罪、対話で禍根なくすぐに解決します。本校のときとは違う、舞菜の持つ紗由への信頼はこういった部分からも来ているのかもしれませんね。


さて、ここからがこのアニメの本領、ステージを通してキャラクターの思いが交錯し、動き出します。体験入部での『ミライKeyノート』です。

『ミライKeyノート』、このアニメの前半で何度も使われる楽曲ですが、どのシーンでも上手い使われ方をされています。
紗由が踊るシーンの歌詞、「どこにあるの」「探し続けた」「やっと見つけたのに」「誰にも響かない」「ひとりぼっちに慣れて」など全部舞菜の状況にマッチした歌詞ですが、なんといってもこのシーンのキモは「声の出し方も忘れてキミに何もとどかない」で紗由の歌に切り替わるところです。ここからの歌詞の視点はもう舞菜だけではありません、紗由のステージです。
謡舞踊部の活動をみて欲しいという紗由の想いの載った歌を舞菜は完璧に受け取ります。この「閉じ込めたままの想い」「どうしたい?信じたい」と「”もう少し待って” ちゃんと伝えたくて」の歌詞が2人の視点から異なる解釈できるの本当に美しい…。

そして2人で踊る『ミライKeyノート』、全く同じ歌詞であるにもかかわらず歌詞解釈はさらに一変します。歌詞とキャラクターの目線に注目してください。
「どこにある?当てもなく 探し続けた」で舞菜に笑いかける紗由、「この気持ちは誰にも響かない」で動く舞菜の感情、反語か?それに呼応するかのように次第に大きくなる舞菜の動き、「ひとりぼっちに慣れ」た紗由の想い、舞菜の想い、それは2人が同じステージに立ったことで次の歌詞に繋がります。サビ入り、「閉じ込めたままの想いが歌い出す」で舞菜の歌とともに「楽しい」という感情で2人は同調します。1回目の歌詞での2人の異なる視点からの「どうしたい?信じたい」と「ちゃんと伝えたくて」は2回目に同じ視点から放たれることでもはや勧誘する側とされる側という違う目線ではなく、一緒に歌いたい、踊りたい(≒楽しい)という同じ目線になったわけです。

この一緒に歌いたい、踊りたいという気持ちが舞菜にとって姉との楽しい記憶、仲間を集めること、Re:ステージとしてこの後の展開にもつながっていくわけですね。

というわけでステージの上では早くも全てが解決したかに見えますが、現実の感情が追いつくまではもう少し時間がかかります。
バスを追いかけるシーンの紗由、校門前で桜舞う中新しい未来に期待する、冒頭の舞菜と同じ構図になるの美しい…。

部長の「同じことを感じてたとしたら、どうやろうな」「急に言われても上手いこと返事できひんときとかあるんちゃうかな」が舞菜紗由に向けたセリフであるにも関わらず瑞葉とみいにも響く言葉で最高…。
ED曲『憧れFuture Sign』の「迷子の"大好き"さん」から扉の前で迷ってる舞菜を誘い入れてED入りするの天才~。

Cパート、「もう一度、あなたと一緒に」のもう一度は単純にもう一度踊りたいの気持ちだけでなく舞菜の過去にもかかっていて良いですね…。
楽しさの共感、相互理解とはまた別の話なのでもう一度、何度でも確かめる必要があるのですよね、えっちな話ですか?

第2話 「完全にミジンコ」

アバン、謡舞踊部の廃部を覆すには実績と部員が必要なことが明かされます。
長谷川副会長の謡舞踊部に対する反発、過去にアイドル部を作れなかった彼女の嫉妬は4話まで回収されません。
1話に続けて2話のアバンでもプリズムステージの紹介が来るの新規視聴者への導線というかアバンらしくていいですね。

さてOPを挟んで舞菜と紗由の会話、1話で和解したように見えた2人ではありますが、紗由には1話でも言ったように「舞菜と一緒にプリズムステージで優勝する」明確なビジョンがあるのに対して、舞菜は「月坂さんと一緒に歌ったり踊ったりしたいだけ」で微妙に食い違ってるんですよね。紗由からすると「それをステージの上でやるだけ」ですが舞菜には「人前で歌ったり踊ったりしたくない」という明確なトラウマがある。
しかし謡舞踊部を存続させるためには実績を残す必要=プリズムステージで優勝をする必要がある。部員を増やす案としてのミニライブでも人前に立つ必要がある。
舞菜の目的のためには謡舞踊部が必要なのでこれを克服しなくてはいけない。

このラインと並行して舞菜と同じく「人前に立つこと」にトラウマがあるかえのストーリーが進行します。この2人のトラウマのリンク、アニオリなんですけど(書籍版原作だと別の話として2話使われてます)本当によく出来てますよね…。


かえが舞菜紗由に言葉を最初にかけてきたのはプリズムステージの話題に対してです。かえの家にプリントを届けにきたときに彼女の心を開いたのも紗由がアイドルの話題を出したからです。
この作品では徹底してアイドル、そして音楽によって人は繋がれるというテーマが描かれており、内向的なかえがアイドルを通じて他人と関わりを持つのもその一環ですね。
2話のかえには目線を合わせないで喋るセリフとしっかりと目線を上げて喋るセリフがあって、その対比に注目して視聴すると面白いと思います。(数が多いので個別には説明しませんが…)

「そんなにアイドルが好きなら」でかえを謡舞踊部に誘う舞菜、「好きだけじゃただの遊びと同じ、アイドルは遊びじゃない」と返すかえ。
舞菜、ここまで結構「歌ったり踊ったり」という単語を使っていてその表現を「アイドル」という単語で表現はしてないんですけど、ここも舞菜と他メンバーとの意識のズレなんですよね。
それをここで舞菜が勧誘という目的のために自然であろう言葉で「アイドル」を当てはめた結果、かえ自信にそういう意識はないのですがどストライクにかえにそれを断罪されるわけです。(舞菜が謡舞踊部でやりたいことは言ってしまえば好き(≒楽しい)の遊びであるし、舞菜がやってきた碧音とのアイドル活動もおそらく遊びの延長の認識が近いので)
おそらくアイドルと言う単語を避けてきたのは本校アイドル部での記憶からかと思いますがある意味ここでまた「アイドル」という単語を使ったことで再びアイドルに向き合いはじめた、向き合う必要が出てきたと解釈してもいいかもしれません。
帰り際に紗由は「私達は遊びでアイドルを目指してるわけじゃない」「プリズムステージで優勝するつもり」と最後に伝えますが、このセリフは悪い意味で舞菜にも刺さります。舞菜はこのかえにかけられた言葉をどういった感情で聴いていたのか、表情から想像するのも面白いです。

さてこのようにある意味アイドルが日常の延長となっていた舞菜と対比してかえにとっての「アイドル」は憧れです。学芸会で声がでなく、学校にも行けなくなったときに勇気をくれた存在。
「アイドルは夢の中の存在」、それは画面越しないしステージ上の存在、違う世界の住民です。KiRaReの他メンバーはおそらくきちんとステージに立ってきた過去、そして成功体験がありますが、かえにとってのステージの上は学芸会の失敗しかないといった面でもその隔絶は最も大きいです。

舞菜がかえの説得の手段として用いたのは歌です。CDを渡し、この曲で歌って踊るステージを見て欲しいという舞菜。
ここだけみると普通のシーンなのですが、その前から準備していたとはいえ、この直前に舞菜はステージに立とうとして失敗しているんですよね。どういった心境で自分を差し置いてかえをステージに誘ったのか。ここは材料が少ないので想像しかできませんが、舞菜の性格からすると自分よりも他人を優先した、つまりかえに自分の歌を聞いてもらい、その楽しさを知って欲しいと強く願ったのかもしれません。過去に否定されていたとしても歌と踊りの持つ力を誰よりも信じている、あるいはその気持ちを紗由と共に踊ったことで取り戻したのが舞菜なんだよな。
そんな舞菜の言葉も「それはあなたの勝手」と一蹴するかえですが(彼女の語る言葉から舞菜が本当にアイドルであることはわかったがアイドル=夢の中の存在でありかえの世界とは違うので…)、「かえちゃん」と名前を呼ばれたことでその夢の中の存在≒アイドルでありながらクラスメイトへと距離が縮まり、アイドルがかえと同じ世界に存在することを認識するわけです、最高だね…。


その後、舞菜と紗由はもう一度ミニライブのステージに登ります(Re:ステージだ…)。1人では難しくても2人なら。紗由が舞菜を引っ張る構図ですが、その直前の練習で「舞菜と踊るといつもより上手く踊れてる気がする」の会話があり、ここでは舞菜が紗由を引っ張っている文脈があります、基本的にこの作品相手を助けると自分に返ってくるようになってるの優しい世界なんですよね。

というわけでライブ当日、ライブ中止を止めるために、かえが登場します。舞菜の優しさがこうして返ってくるの美しい…。1人から2人、そして部長とかえとの4人で準備したステージです、無敵じゃん。
脱線しますが最初にかえ宅を訪問したときに舞菜紗由がかえに持っていったプリントは、施設利用方法に関するプリントです。生徒なら施設を利用できる旨が書かれていて、プリントを持っていった行為が必要・正解であり未来につながる行為でもあったんだよな…。

観客が部長1人で始まるのは、ある意味ステージ上で踊ることは必ずしも人前で踊ることとイコールではない(≒舞菜の悩みを肯定する)みたいな狙いがあったりするんですかね、まあかえがすぐに人集めますけど。
舞菜が観客に対する恐れを持つのに対して、観客に対する意識が舞菜紗由かえの3人で1番高いのがおそらく客の視点でずっとステージを見てきたかえなんですよね。そういった意味でもかえが観客を集める構図は美しい。

さてミニライブの『ミライkeyノート』です今回の歌詞解釈は視点が飛びまくります。
「探し続けた」で集まってきた観客を眺める部長そして入ってくる長谷川副会長、「ひとつじゃ足りなかった」「一人ぼっちに慣れて」で目配せする舞菜紗由そして映るかえ、「誰にも響かない」でノリノリな観客たち(反語か?)、サビ前「声の出し方も忘れて」で歌を譲ってしまった香澄(ここは画面には映りませんがかえにとっても重要な歌詞なのがかすかえの文脈)、「どうしたい、信じたい 胸が揺れ動く」で涙を流す長谷川副会長、そして「君が扉を叩いてる 上手に声が出せなくても」で舞菜紗由がかえの方をみるんですよ、この歌詞の主人公はお前だ柊かえ!ここ2話の最重要ポイントや!(突然興奮するオタク)
というわけでもう少し待ってちゃんと伝えたいミライkeyノートでした、あまりにも最高の曲…。

香澄、そして長谷川副会長はこのステージを見て何を思ったか、それはまた後の話で語られます。

「かえも、夢を見ていいのかな」、アイドルは夢の世界の住人、と自分とは隔てて語っていたかえですが、人は本来誰しもが夢を見ることができるんですよね…。ここからはじまる柊かえのドリームデイズ、タイトル回収じゃん。恋をするように、夢に落ちたんだ…(憧れFuture Sign

第3話 「興味ないって言ったよね」

相変わらず副会長は~のシーンで「部員が不足している限り部として認められません」って言ってるけど実績の方はもう認めたってことなんですかね副会長…。

香澄も一度アイドルへの道を諦めた存在ですが、他キャラと明確に異なるのはアイドルに対する未練がもう無く、さらにサバゲという新しい生きがいも見つけている点なんですよね。
その彼女に過去を想起させたのが2話のミニライブです。

そして何故か始まるサバゲ、アイドルアニメでサバゲをやる意味、普通にわかりませんが、香澄にとってはここが新しく立った舞台(Re:ステージ)で、各キャラのアイドル活動と同じく真剣に向き合う場所なんですよね。
その明らかに場にそぐわない舞台でも同じ舞台に立ってやりすぎだろ、と思われるやり方で勝ちに来るかえ、その勝利への執念が香澄に共感を産ませ、想いが届くわけです。
2話で夢を取り戻したかえたちは一度諦めた夢を取り戻せることを知っているから、香澄も同じだろう、と無茶をしてでも、慣れないサバゲをしてでも対話を試みるんですよね。
この作品はライブのステージを通じて人の心を通わせる作品ですが、その媒体となるステージは音楽じゃなくてサバゲでもいいわけですよ。


話は変わりますが、香澄はここぱんなのことを『あの子』と呼んで、ボイスロイドを擬人化して見てるんですよね。香澄が情熱を失った理由は「あの子が歌ってもボクの声が届いているわけじゃない」ですが、この理論はちょっとおかしいんですよ。香澄が本当にボイスロイドを自分と切り離して見れているならばそれを憂う必要はないわけです。つまり結局ここぱんなに自分を投影して自分の声ないし歌として認識してはいるが、ここぱんなへの評価は自分への評価として受け止められていないわけです。
で、なぜ挑戦する情熱を失ったかと言うと結局はボイスロイドという表現手段から来る観客・仲間の不在、孤独感なんでしょうね、だからこそ説得のセリフとしては「本城さんの歌が聞きたい」「あなたの声で歌って欲しい」「あなたの声でも聴きたい」、そして返答の「君たちと一緒なら」なんですよね。香澄、KiRaReの6人の中で1番"仲間との活動"に執着・依存しているキャラクターだと思いますが、その背景にはこういった経緯があったんですかね…。
あと舞菜もここぱんなのことを『この子』って呼んでるの、なんかいいですよね、香澄の気持ちに近いというか…まあここぱんなは元から擬人化キャラクターとして存在しているのでボイスロイドとして見るのが間違ってるのかもしれませんが…。

ミニライブで昔の自分を取り戻し、3人の説得により挑戦する気持ちを取り戻す、この2つの取り戻した気持ちは一見同じようで違うんでしょうね。アイドルへの夢を取り戻しても、挑戦する気持ちまでは取り戻すことが出来ない人はたくさんいる、その一歩を踏み出す勇気の重要さまでしっかり描いたこのアニメのストーリー上でも重要な話だったと思います。(みい先輩との対比とか…)

第4話 「もう終わりだみぃ」

みい先輩、3話の香澄と同じで2話のライブを見た時点で既に憑き物は落ちてるものの、なんやかんやで一緒にやろう!とはならないんですよね。
嫌がらせを止めることはできなかったし謡舞踊部に迎合することもできなかったわけなんですけど、まあそのへんは人間単純でもないみぃよね…(雑みぃ語)。
とはいえ瑞葉のサポートとして不本意ながら一緒に活動をすることになります。

さて一方瑞葉の方ですが、プリズムステージに参加するつもりがなく、応援する気しかなかったことが明かされます。

正直言って瑞葉、6人の中でもかなり内面・過去の描写が薄いキャラだと思っていてよくわからないんですよね。
部員のサポートはしっかりしてますが本人自体のアイドル活動への情熱も見えづらいし、過去にやっていただろう神楽舞の話も基本的に出てこない。
過去と向き合う文脈としては『部活の再建』があるしそれが主軸と思うんですけれど、そもそもアニメだと過去の謡舞踊部の描写、「この春まで一人だった」以外ほぼないですしね…(書籍版・ゲーム版でもさらっとだけど…)
まあ動機はともかくダンス初心者として1からリスタートです。


ここでの『キライキライCЯY』からの特訓パートがセリフ一切無しで歌詞で表現されますが、ポイントを見ていきましょう。
瑞葉「オトメゴコロは誰にも解けない魔法かけたの」からみい先輩の「自分でさえも魔法にかかることがあるの」、魔法は変化の象徴で、新たな部員の加入から止まっていた時間が動き出すわけです。「副作用はDon't mind」「矛盾だらけでもいい」「未来はbuffet style」「シナリオはどれから試してみる」とひねくれ、過去に囚われ未来への選択肢を捨てたみい先輩の心情がだんだんと前を向けるような歌詞になってるんですよね。
映像で順調に進む特訓、そしてサビ歌詞「キライキライ本気にしないで」「素直に言えずに」「泣いてるわ」という現状から最後に「迎えに来て」でようやく本当に言いたかった心情(一緒にアイドル活動がしたい)になるわけです。
そして間髪入れずに『ミライkeyノート』「私が見つけた鍵で開く扉は」みい先輩の特訓によって瑞葉はキラキラとターンを決めるわけです。「どこにある あてもなく 探し続けた」見つかったじゃん…。

みい先輩が言う、一緒に部活やる行為が「もう遅い」に対して同じ立場で1から始めている瑞葉が上手く踊れるようになったんだからお前も遅くないぞって強引な論理展開いいですよね。正体バレたときにも「もう遅いみぃ」のセリフはあるんですけどあの時返せなかったセリフが今なら返せる。「スタート切るだけや」の"だけ"の重さを3年生の2人だけが知ってるんですよね…。

2話で舞菜と紗由が2人でステージに登りましたが、この話で瑞葉とみい先輩が2人で高尾山に登ったシーンとの対比ができそうです、入学直後の1年生と色々あった3年生の登る行為の重さの差と見ると面白いですね…。

第5話 「梅こぶ茶飲み隊」

さて各キャラの加入も終わり、ある意味ここからが本編開始かもしれません。

各チームに別れての作曲作業です。ここで紗由が舞菜の家に来るの9話への布石でいいですね。
舞菜の紗由ポエム推し、わりとこの時点ではギャグですけど「私一人じゃ何も出来ないから」「まるで私の気持ちを全部言葉にしてくれるみたいだって」のセリフが、紗由の作詞で最終的に碧音に舞菜の想いを伝えられたことを考えると、自分の想いを伝えるには仲間の存在が必要である、の文脈の肯定としてかなり良いですね。

舞菜紗由の作詞とかすかえの作曲がつながって曲ができるの最高ですね、6人の共同作業だ…(3年何もしてないけど)
AメロBメロは簡単な伴奏とちょっと外れた歌声なんですけど「みんなで」の声とともに桜の映像でサビ入り、一気に音がクリアになって音程がカチッと決まって映像は思い出ボムになって歌詞は「キラキラ輝く太陽より眩しく~」本当天才ですね…。1人1人だとバラバラで稚拙でも、みんなでなら最高の楽曲が作れるんですよ…。

この楽曲演出で一度表現したシナリオをみい先輩も言葉として改めて語るの、何度見ても美しいですね、この最後のKiRaReのロゴが決まるところ、1話アバンでRe:ステージのタイトルロゴが出て舞菜の学園生活が始まるところと似てる気もします。再出発の文脈です。

第6話 「紫ちゃんは私のおばさん」

メンバーの集まったKiRaReですが、みい先輩は空回り、練習は上手くいかず、かえと紗由はふらついて倒れてしまいます。

書籍版だと体力面で足を引っ張ってたのはかえと瑞葉の2人なんですけど、ここで倒れるのが紗由になってる(紗由が倒れたのは体力不足ではなくかえがぶつかったからですが)のはオルタンシアに家族の文脈があり9話の両親との確執に繋げられるからだと思います。いいアレンジですね…。

みい先輩が「楽しい」を取り戻すがこの6話の主題(と同時に視聴者に対するみい先輩の好感度調整)ではありますが、紗由もこのタイミングで舞菜に「踊っても楽しくない」とこぼしてるんですよね。
その理由として「家で色々あって」と説明していますがその視点で考えると年上のみい先輩に練習を強要されたり、時間が足りないと責められることが両親とかぶってるのかもしれませんね。

生地選びのシーン、未だしっくりくる解釈ができてないんですが、自分が気に入ったものを選ばずKiRaReのイメージを優先しろといいつつ自分の好きな布を選んでしまう、つまり個人としての楽しさ、好きを優先する気持ちは忘れていない、という文脈なんですかね?数を絞れないところにもなんらかの考察ができそうですが…。
KiRaRe自体を優先するために自分の好きを切り捨てる必要はないという表現?

オルタンシアの『Yes , We Are!!!』の歌詞ですがわかりやすいですね、「2人揃ったら完全無欠さWe Are」「理由はなくても楽しめるならAll Right!」が連続するのがいいですね、みい先輩はもう瑞葉と上手くやれて2人での楽しさを知ってるわけですが、でもそれを「いつかは『2人』が『みんな』に変わるよ」、つまり6人で楽しくやれる領域まで達せてないわけです。
(オルタンシアにとっての『みんな』は観客ないし全人類ですけどね)

舞菜の「もしかして姉妹ですか?」、楽しそうな2人を見て姉妹と思う、碧音との楽しかった記憶を彷彿とさせて良いですね。
1年の間を開けて陽花と紫は再び中学校で出会いアイドル活動を再開できましたが、舞菜と碧音は同じ中学校で再開したもののまた2人でやれなかったんですよね、ifの未来だ…。

一方紗由は「静江さんは2人の活動を応援しているんですよね」「一途に好きなことが出来ている、家族の支えもあって、それが2人の集中力を生んでいる」と応援してくれない自分の母親との対比をしているのも印象的です。

バルーンを子供に渡すカット、みい先輩だけが子供と目を合わせていないのが印象的です。オルタンシアのライブを見て楽しむ観客がライブ目当てではない子供たちなのがみい先輩が楽しむ気持ちを忘れている箇所との対比になります。子供は過去の忘れてしまった気持ち≒楽しさの暗喩です。

そしてライブシーン、Purple Raysです。
わりとそのまんまなんで歌詞解説は適当にしますが、
「そうこの瞬間をずっとずっと待ってた」から始まるのはオルタンシアにとって1年のブランクからの再開を想起させますが、みい先輩の境遇にもかなり刺さる歌詞ですね。そして楽しそうなオルタンシアと観客、とは反対につまらなそうなみい先輩。
しかし「キミとだったらどんなこともできそう」「2人なら大丈夫」そして「キミがいなきゃ楽しめない」「ステージはここから」、みい先輩が4話、5話で得た感情に沿った歌詞と共に楽しむ気持ちを取り戻すわけですね。

第7話 「先輩とはいえ少し黙らせるべきか」

プリズムステージ東京予選です。ここまでKiRaReの6人で話を進行してきましたが、ここからステラマリスとの話が始まり、舞菜、碧音、紗由の3人をメインに進行していきます。
かえが解説役として生き生きしていたり緊張している1年生を励ますみい先輩が嬉しい…。

そして碧音の登場シーン、舞菜はそのオーラを感じ取って逃げ出しますが、ここで映る回想は本校アイドル部の人間であって碧音自身から逃げているわけではないことがポイントですね。逃げた先に木があるのは木に囲まれた高尾校のメタファー(流石にこじつけ)。

碧音は紗由の宣戦布告も受け入れますし、碧音の主張も舞菜が元気で居てくれればそれでいい、舞菜がステージに立ってくれればいい、それだけです。舞菜も碧音が大好きですし、客観的に見れば誰も悪くないですしなにひとつ問題がないシーンでこじれてもいないのですが、この邂逅をきっかけに舞菜は過去のトラウマを思い出し、ステージから逃げ出してしまいます。
碧音の数少ない望みである「舞菜がステージに立ってくれればいい」が碧音との再開がきっかけで叶わなくなりそうなの、普通につらいですね…。

さて舞菜が逃げ出したのは過去のトラウマからですが、姉に出会ったことで本校時代を思い出したという単純な話ではないと思います。この原因をもう少し掘り下げてみましょう。舞菜が逃げ出したときの回想では舞菜の存在を批難する言葉が並びますが、批難でない、毛色の違うセリフが1つだけあります。それが「私達は夢も見れないの?」というものです。つまり、批難されたことだけでなく、舞菜の存在・歌と踊りによって夢を奪われた人間の存在が舞菜にとっての枷となっているわけです。

ここで紗由と碧音の会話を思い出してください。「東京予選を抜けるのは1校だけ」「決勝の舞台で一緒に戦おうね」舞菜にとって逃げるきっかけとなった地雷はこの部分だと思います。
数々の夢を背負った舞台で他人を蹴落とさなければいけないという現実。さらに言うなら大好きな姉とすら戦わなければならず、その夢を奪ってしまう。それにより批難・迫害されるかもしれないという憂慮です。


舞菜を追いかけた紗由にも注目してみましょう。
舞菜紗由がセットだからという文脈も当然あるんですけど、KiRaReメンバーの中で1番プリズムステージ優勝にこだわっていた紗由が自分が出場出来なくなるリスクを背負って舞菜を追いかける重さ、いいですよね。

そして紗由の説得、キモは「夢を見る人は私達だけじゃない、応援に来る人たちも夢を見るの」「それに、私達は舞菜に夢をもらったんだ」です。
舞菜が本校のトラウマとして抱えたのは「自分の歌やダンスが誰かを怒らせたり、傷つけたりすることがあるなんて思ったこともなかった」、この原因がどこにあるかと言うと、舞菜が今まで観客の存在を意識していなかったことです。そのため、紗由が言う舞菜の歌やダンスがそれを聞かせた相手に夢を与えることができるという視点も無かったのだと思います。
歌・踊りを披露した相手の夢を奪ってしまうというトラウマがある、観客の存在に逃げずに向き合うことで、観客に夢を与えることができる、そしてかつて観客であった仲間たちは既に舞菜から夢をもらっていた。という事実に気がつくことができる。
逃げ出した・諦めた過去に向き合うことをテーマにしたリステDDの中でも抜きんでて美しい文脈だと思います。

そして改めて紗由の「一緒に夢を見たい」という誘い、これが紗由だけでなく舞菜の・KiRaReの・6人の夢にもなっていくんだよな。他人の夢を慮るあまりに逃げ出した状況から脱却すると同時に自分の夢をも掴んでいるという状況、完璧すぎる…。

KiRaReの残りの4人が舞菜を待ち続けることが出来たのも舞菜に夢をもらったから、という文脈がありますよね…。

ライブシーン、『キラメキFuture』の解説は特に必要ないですよね、今夢の中にいるから…。
笑顔で踊りきり、楽曲が終わって余韻の後客席を映し、ここで改めてステージに立っていることを自覚し、観客が喜んでくれている、夢を与えることが出来たという安堵を得た舞菜が改めて微笑み、そのまま無言で手をつなぎ一礼してEDに入るのが言語を介さない演出として美しすぎる…。

第8話 「ノーギャラなんかでやってられない」

ステラマリス回です。7話のラストのライブがあまりにも完璧だったせいでもうKiRaRe優勝でよくね?みたいな気持ちになってる視聴者に対してミスがあったと冒頭で示すことでステラマリスとの差が示されています。

特殊OPのオルタンシアも珊瑚に「大したことなかった」と言われてしまい悪い言い方をするとステラマリスと比較される噛ませではあるんですが、瑠夏の楽しんでパフォーマンスをすることがいい、KiRaReに似ているという発言がされることでKiRaReの良さを認識していること、そしてそれでもまだ及ばないことが間接的に示されていると思います。楽しんでパフォーマンスをすることの強さを知っているのはアニメだとほぼ描写がないですがトロワアンジュが上位互換として存在していることもあるかと思います。

さてここまでひたすら他ユニットに実力マウントを取り続けてきた珊瑚ですが、ここで過去回想が入ったことでそのバックボーンが見えてきます。
それは実力があったからこそ一人だけ碧音に声をかけられ、ステラマリスに加入することが出来たという過去が示されたからです。
逆説的に実力が無かったら碧音に庇護されることもなく、舞菜と同じように他の部員から迫害を受けていたか、はわかりませんが少なくとも辛い状況で泣いているときに励まされることもなく、今の自分はなかったという想いがおそらくあるんですよね。
だからこそ他人にマウントを取り、自分の実力を示し続ける必要があると考えている。

さて話を戻して珊瑚が舞菜をダメダメと批難するのも、碧音の「世界一大事な人」発言から来ているわけですね、ここ一見ギャグ演出なんですが、過去に碧音に声をかけられ、ステラマリスに入ることができたのが一人だけだったからこそ、碧音に救われる枠が1つしか無いと思っていて、世界一大事な人が自分でなく舞菜だったことに危機感を覚えて自分の方が優れているとマウントを取りにきているわけです。「超がつく自信家」とかえに評された珊瑚ですが、言動を見る限りかなり臆病な性格なのかもしれません。


そして同時に珊瑚の存在は、碧音と瑠夏にとって舞菜という実力のある部員を他の部員から守ることができず転校させてしまった、という過去のやり直しでもあるわけです。

ステージ直前の碧音と瑠夏のシーンを見ていきます。この二人は正直出番も描写も少ないのでかなり意図を読み取るのが難しい、というかほぼ想像でカバーする形になってしまいますが…。
二人の心配をしているが詳細を聞かないことで不安にさせてしまう碧音と、碧音を心配させまいとするあまり舞菜の話題を避けて何もないと言ってしまう瑠夏。
言ってしまえばお互い相手を気遣っているんですが二人とも会話が下手で不器用なんですよね。
ただ、これには本校アイドル部の悪しき風習・KiRaReとの対比として語られてきた完全実力主義という文脈があって、ステラマリスの3人を繋いでいるのもこの実力主義があったからこそなんです。
ステラマリスのステージの素晴らしさは誰もに認められている。
そしてそれが出来るのは碧音・瑠夏・珊瑚という素晴らしい仲間と出会えたからで、楽しく自由に活動もできている。
それらは全て彼女たちの実力から生まれたものです。
つまり実力主義は悪ではなくステラマリスにとって実力主義こそが正しい文脈なんです。
つまり実力で、ステージを通して正しくつながってしまった3人なので、言葉でのコミュニケーションがまだ未熟、という文脈が読み取れるかもしれません。本校アイドル部で携帯電話が使えないのもステージ外での対話を禁じられている暗喩でしょうか。

なので瑠夏も珊瑚ほどわかりやすくはないですが実力という絆でない、姉妹という絆を重視している碧音に・舞菜の存在に触れることを恐れているのかもしれません。
まあ瑠夏のそんな懸念をほぼ正確に碧音は察していて「対戦相手にまーちゃんが居ても私のパフォーマンスは変わらないわ」と返すわけですが、惜しいんだよな、別にパフォーマンスが落ちることだけを心配しているわけじゃないんだよな。

そして碧音にとってはパフォーマンスが落ちないこと、それは絶対に必要な行為です。
それが「まーちゃんは私のもとに帰ってくるの」発言です。
碧音にとってステラマリス、本校アイドル部にとって居場所を作る行為は実力を示すことと同義です。これは自分が勝ち取ったものなので不動の真理です。
そのため本校時代の舞菜に居場所を作ることができなかったことも自分たちに実力が足りなかったからだと碧音は考えているのかもしれません。
だからこそ本校アイドル部の誰をもを黙らせることができる実力を示せば、そしてKiRaReという居場所よりも上であることを示せば舞菜は返ってくる。
そういった意図での「決勝で戦うのが楽しみ」発言が見えてきませんか?言葉が足りなすぎる…。

ステラマリスはアニメの作中最強絶対王者のユニットなので実力が足りていなかったことはないのではと思われるかもしれませんが、本校アイドル部にはステラマリスと実力が並ぶと言われるユニットが存在します。そう、トロワアンジュです。
基本的に同じ大会に出ることを学校に禁じられている(これはゲーム版の設定でアニメで語られてないので話に持ってきたくはないのですが)ため、トロワアンジュとステラマリスのどちらが上かという格付けがなされません。
ステラマリスが執拗に実力を見せつけることにこだわるのはトロワアンジュの存在もあるのかもしれません。

さてライブシーン『Like the Sun, Like the Moon』です。

このライブは視聴者には観客の反応を通じて絶対王者であることを感じさせますが、
歌詞を紐解くと碧音・ステラマリスの気持ちが見えてきます。

「時めく気持ち伝えて 遥か海の星へと」これは星に願いをかける普通の歌詞に見えますが、ステラマリスの訳が海の星であることを考えると気持ちを伝えることで、(舞菜が)ステラマリスに来てくれる、という願いが込められています。同時にステラマリスの3人にとって仲間との絆を示すものであり、さらにKiRaReの6人にとっては遥か強大な王者に挑むという行為を想わせます。

そして「たった一瞬だけで(中略)魂さらけ出す舞台へ」の歌詞から、先程説明したようにステージを通じて魂をさらけ出すことができる、つまり言葉がなくとも気持ちを伝えることができるという行為が示されます。
続く「妖しく微笑み」「優しく見つめて」からの「あなたを逃さないよ」も直接の言葉を介さない舞菜に向けたメッセージです。
永遠に踊り、歌うことでしか繋がれない彼女たちの不器用な想いです。同時に碧音を逃さない(もしかして私や珊瑚には関心が無いのかな?)という珊瑚と瑠夏視点の解釈もできます。

この歌のモチーフに太陽と月が選ばれているのも語らず人々を照らすものであり、居場所を作るもので、そして星は人を導く(海の星、導きの星はステラマリスの別名であり、金星のことです)という意図も込められてるのかもしれません。
太陽や月はとても大きなものですが、さらにここに星という要素が足されることでKiRaReのモチーフも星ですから、同じ輝く星として、同列のステージに立ったという表現もありそうです。


さてこのライブにKiRaReの面々は圧倒されますが、舞菜だけは拍手を送り微笑みます。
この微笑みの意味ですが、もしかすると舞菜は未だに居場所を作ろうとしてくれた碧音から逃げ出してしまったことで、舞菜本人だけでなく碧音が辛い想いをしているんじゃないかと懸念していたのかもしれません。
自分の悩みを解決したことで他人にも目を向けられるようになったわけですね。1話でステラマリスの映像を直視できず逃げ出してしまった状況との対比よ…。
そのためステラマリスという仲間と共に最高のパフォーマンスをする碧音を見て安心した。

何故なら舞菜には仲間(居場所)がいたから最高のパフォーマンスができた、という経験があり、その理論に乗っ取ると碧音が素晴らしいパフォーマンスが出来ているのは、素晴らしい仲間という居場所があるからだと想像できるからです。
ステラマリスの理論である最高のパフォーマンスを示したことで生まれた居場所で最高の仲間に出会うことが出来た、とは因果が完全に逆転しているからこそのすれ違いが読み取れそうです。
どちらも歌と踊りがつないでいる絆ではあるのですが、舞菜と碧音は共に歌い踊り通じあった過去があるからか自分の理論が相手にも当てはまるだろうと考えてしまっているのが難しいですね…この2つの理論は2人が離れた場所で得たものなので…。

舞菜の説得でKiRaReの面々が前を向くシーンはそのまんまなので省略です。

そして特殊ED、宣誓センセーション、未来への期待、無敵感ですね。

第9話 「向こうの親御さんには私から連絡しておくわ」

紗由回です。
集中できずに転んでしまう紗由ですが、似たシーンは6話冒頭にもありましたね。
それと対比して1話から身体が成長している舞菜。
6話で紗由が悩みの片鱗を匂わせたときに舞菜は心配こそすれ踏み込むことができませんでしたが、7話を経て精神的にも成長、変化している舞菜は、紗由が再び悩みを匂わせたときに助けになろうと積極的に踏み込んでいるんですよ。そしてそれは7話で紗由が舞菜の悩みに踏み込んできてくれたからでもある。
リステDDのこういう過去にできなかったことができるようになっている繰り返しの構図が好きだ…。

舞菜が鏡をみながら練習しているのも自分だけの表現から観客の目を意識した表現、つまり他人を気にする余裕ができたということの表れでもあるかと思います。

舞菜(の叔母)の家という場所も紗由にとって5話の作詞で自分のポエム、気持ちを理解してくれた場所なので理解者を求めて逃げた先の場所として正解なんですよね。過去の積み重ねだ…。

さて風呂のシーンです。「誰かと風呂に入るのは久しぶり」やアヒルの玩具で遊ぶという行為でその幼稚性が描かれます。単純にしがらみを捨てて服を脱ぎ2人が裸で向き合うという要素だけでなく、童心を取り戻す場所という視点が過去の気持ちに向き合う過程として正しい舞台演出です。
まず舞菜と紗由はアヒルで遊びますが、そこには楽しさという要素がある。1話から2人を繋いできたのは共に踊ったことによる楽しさです。
そして楽しさで心を通わせた紗由は悩みを打ち明け、そして舞菜はそれを受け入れて改めてアヒルで遊び楽しさを再認識する。
このアヒルで遊ぶ行為が舞菜と紗由2人でのアイドル活動で2人を繋いでいる絆の暗喩になるわけですね。

そして部室を訪れる紗由の両親。
謡舞踊部の部室は紗由にとって親から離れて夢・未来だけを見ることができた逃避の場所でしたが、両親とのしがらみは消えることはないので過去と向き合い解決することが必要なんですよね。
紗由母の「どうしてわかってくれないの」、この作品を通じたテーマである相互理解の難しさを端的に表していますね。

「見るだけですよ」の発言ですが、この作品ではステージを見ることで人は認識を変えることができます。
みい先輩は変わりました。謡舞踊部の活動を認めていなかった、その過去の象徴である生徒会副会長としての腕章、メガネ、おさげのままでステージに立ち、アイドルになる。それが仲間にも、生徒会メンバーにも、観客である生徒にも認められていることで、身を持って示します。サバゲ部部員がサバゲではなくアイドルの道を進む香澄とかえを応援しているのも他人に認められることを証明しています。

そして香澄はアイドルの道を紗由たちに選ばされたことで救われていることを語ります。香澄だけでなく謡舞踊部を再始動させたのは紗由なので、紗由がKiRaReすべてのはじまりだったんですよね。それが紗由に返ってくるの、あまりにも美しい。
声が出なくなったトラウマがあるかえが噛んだあともしっかり目を合わせてを見て紗由を励ますシーンもいい。

そしてライブシーンです。2話で舞菜の手を引いてこのステージに上がった紗由が9話では舞菜に手を引かれているのが美しい…。

『ステレオライフ』の歌詞、ユメとリアル、理想と現実の歌です。紗由にとっては理想がアイドルとしての夢、現実が両親の期待に応えることですが、一方紗由の両親の視点から解釈すると娘が自分の思うまま正しく育ってくれることが夢、そして現実が言うことを聞かない娘という真逆の構造なんですよね。
「大人になるってこと それは何かを諦めるわけじゃない」まあ歌詞の趣旨としては理想も現実も否定せず清濁併せ呑むぞみたいな感じですけど(雑)片方だけじゃなくて両方を認めることで、紗由にとっても、両親にとっても良い結果につながるようになっている構図がこれもまた美しく、紗由の夢を追いたい、という気持ちが両親に伝わっただけでなく両親(両親の夢と表現しても良い)にとっても刺さる歌詞になってるのが素晴らしいですね。
大人と子供の文脈があるのも前半で幼稚性を描いたこととの対比でこれまた良い。

そしてライブ後ですが、まずライブ前は紗由母に気圧されていた紗由父がまず前に出る変化がいい。
「生き生きした紗由をみたのは随分久しぶりだった」「中学に入ってから家であなたの笑った顔をあまり見てなかった」紗由両親にとってもまた娘の笑顔が最高だという忘れてしまっていた感情を取り戻した形になりますね。
そういえば5話で紗由がキーボードを上手に弾くシーンがありましたけどきちんとした音楽教育受けてないとできないでしょうしそこからも娘の音楽活動を応援していた過去の時間が伺えますね。

第10話 「戦闘力がどんどん上昇している」

本校潜入回です。
ステラマリスの考察は8話にだいたい書いちゃったんでそんなに書くことないですね…。
テトラルキアとトロワアンジュのアニメにおける立ち位置もよくわからない…。まあ原作だとまだ出てこないキャラだしね…。
いい感じの考察をこじつけ出来る人待ってます!

珊瑚と紗由のじゃんけんバトルの結末ですが、珊瑚が「やるわね」と紗由のことを認めてるの好きですね。12話で紗由が珊瑚を褒めるくだりにつながるので…。

碧音と舞菜の再開のくだりです。
舞菜を碧音のところに連れていく瑠夏ですが、8話で舞菜の話題を避けた過去からどういった心境の変化があったんでしょうか。「かえってくるの」発言を聞いて碧音と舞菜は話あうべきではないかと判断したんですかね?

舞菜も流された風はありますがしっかり碧音に向き合うためについてくるのは変化ですよね。舞菜と碧音との決別ですが「ずっと(中略)一緒にアイドルになるって夢見て」の発言が9話紗由とのずっと一緒とかぶりますね…。碧音とはずっと一緒じゃないんだ…。
ここ、新しい仲間と新しい夢を見つけた、じゃなくて「もう夢なんて忘れてたはずなのに」なのでその夢はやっぱり碧音と共に抱いてた夢のままなんですよね。過去は繋がってる…。
また逃げ出しそうになって、それでも仲間と一緒なら、みんなが居てくれたから大丈夫だった、そして新しい仲間と夢を見たい、という今の気持ちを突きつけるわけです。
本校アイドル部という環境の話じゃなくて仲間の存在を理由にもってきてるせいで逆説的に碧音と一緒じゃまた逃げちゃいそうだし夢も見れんから不足だ、みたいな話になっちゃうんですけどそこはまあ相対評価しちゃダメだよな、うん…。

さて言いたいこといって満面の笑顔で仲間の元に帰る舞菜と対比して、取り残される碧音ですが、「本当に、強くなっちゃったのね」これは8話で説明した強くなった結果そこに仲間が、居場所ができる、というステラマリスの文脈が舞菜に当てはまるので碧音はこれを否定は出来ないんですよね。ただまだその事実を咀嚼するには気持ちがついてこない、悲しいね…。
個人的にはこの対話でもう舞菜と碧音のすれ違いの決着はついてると思ってるんですよね。碧音の気持ちの整理がつくのが11話そして12話ということで…。

「なんでもない」と瑠夏に返す碧音、これは瑠夏が碧音に8話で言った「なんでもない」と同じ、心配させまいとするセリフ。不器用…。
そしてこの「なんでもない」にはもう一つ解釈がありそうなのですが、それは11話の考察で語らせてください。

第11話 「駄ポエムは駄ポエム」

さて対ステラマリスの勝率が0%であるということを告げられたKiRaRe。
紗由と舞菜は高尾山に向かいます。
ここで紗由は幼い頃の、楽しくアイドル活動をしていた時期を思い出します。両親にも笑顔で応援されてるの最高だな!過去を想起させたアイドルの子たちは別に優勝してるわけじゃなく楽しくアイドルやってるだけなんですが、紗由にとって拍手を受けた楽しかった記憶と優勝の記憶が紐付いてるせいでプリズムライブでも優勝すること、勝つことこそが目標みたいに少し歪みが生じてしまったのかもしれませんね。

オルタンシアと勝率について語る舞菜紗由。舞菜は勝率を気にしていませんし、オルタンシアは勝利よりもアイドル活動を2人で楽しむことこそが目的という話を聴き、改めて舞菜との会話で紗由もまた勝つことよりも大事なことを思い出します。
高尾山にリフトで登り、見たこと無い景色を見る舞菜紗由。学校が小さく見えたりと視点をちょっと変えるだけで新しいものが見えてくるわけですね。
オルタンシアに敵わないと思う紗由→少しわかるという舞菜→舞菜の気持ちと同じだと気がつく紗由という過程でオルタンシアに適うみたいな感じになってるのわかりやすく勝率が上がったみたいな印象がありますね。
2人の過去のエピソードにおける心情を打ち明け合う2人。「紗由さんは違うかもしれないけど」「ううん、私だって同じだよ」で違うエピソードを経ていても近い気持ちがあること、そして紗由の歌詞であればその近い2人の気持ちを同じ言葉で表現できることに気が付きます。

自信満々でKiRaReの面々に紗由のポエムを披露するがイマイチ反応が良くない(まなさゆ全肯定、かすかえ一部肯定、みずみぃ微妙)、でも舞菜がそれを歌に乗せたことで最初の部分に関しては満場一致で反応が良くなるんですよね。歌詞は単純な言葉だけでない、歌・ステージを通じてなら伝えられるという力の表れです。この歌詞は2人の気持ちを載せた歌詞ですがきちんと他人である4人にも伝わる。それすなわち聞き手、観客にも気持ちが伝えられるということです。そして2人で作ったものでもそうなのだから、6人で作れば単純計算で3倍観客に刺さる!さらに曲が作られる過程の描写で5話の作曲パートと同じ構図を描くことであれほど完璧な論理展開で作られ、7話で完璧なステージを決めることができた楽曲『キラメキFuture』を超えるものができることを感じさせるんですよね。

さらにダメ押しの作中曲『OvertuRe:』が流れるシーン、高尾の風景からはじまり、5話の作曲パートと同じ構図から更に進んだ絵が描かれます。舞菜と紗由のパート、失った夢の続きを語る歌を、舞菜と紗由が9話で心を通わせ、永遠を誓った場所で。香澄とかえのパート、過去と向き合うことの意味の歌を、香澄の過去だけでなくKiRaReの6人を1~4話でつないだ『ミライKeyノート』を聴きながら。そして6人が歌うのは仲間の力を、ここまでの全てを仲間と共に刻んできた謡舞踊部の部室で。

もうここまでの演出で完全に『OvertuRe:』完成シーンは5話の『キラメキFuture』完成シーンを超えていますが、さらに5話には無かった追撃が入ります。『OvertuRe:』、1番だけでなく2番に突入してライブシーンも追加です。瑞葉とみいのパート、舞台に仲間と共に立つことができる喜びの歌を。11話を通してぶれることがなく制服を着続けた瑞葉に制服を着せる変化と、仲間と観客に応援され、2話では舞台の外から見ていた景色を舞台の上から見ながら。

そしてKiRaReは過去に向き合い、乗り越えたという強い気持ちを持って、未来への想いを語ります。この短い1曲に今までの全てを、11話分どころか描かれていない過去の重さも含めて全て込めてるんですよね。
流石にここまでしつこく描かれたなら視聴者もこんなん勝率0%の壁を超越できる気がしてくるどころか勝てるぞ!の気持ちになってくるんですよね。この強引すぎるゴリ押し論理展開、本当に完璧ですよ。

さて順番が前後しますが一方のステラマリスのライブパート。曲は『Secret Dream』。
ここも解釈が難しいですが、ステラマリスはステージで歌い踊ることでしか夢を語ることが、相手に気持ちを伝えることができないという、最終決戦に向けて曲を作ったりなんやかんやしてるKiRaReとの対比がある気がするんですよね。これは単純にステラマリスがプロに楽曲を依頼してるからKiRaReと同じことができないというのもあるんですが、もっと実力主義の中で生まれたスタンスの差があると思っています。
歌の中では秘密にしていた夢を放てますけどおそらくステージの外でKiRaReのように自分のことを仲間に相談したりはしないんですよね。
実力主義の中で生まれたスタンスでしょうが、悩み苦しみステージ外でもぶつかりながら成長してきたKiRaReと比較してステージの上だけでぶつかり成長してきたステラマリスは全く別の方向に純粋でとても美しい。

ここで振り返って、10話の碧音、舞菜に1回も「帰ってきて欲しい」とは言いませんでしたね。「帰ってくる」という事実の時期を訪ねただけで。否定もしなかった。
ステラマリスの碧音にとってはステージ上での表現だけが夢を語ることであり、相手に気持ちを伝える手段で、ステージ上でしか語る言葉を持たないのかもしれません。

思えば舞菜という守るべき存在も今のステラマリスの碧音にとってはノイズだったのかもしれませんね。
強くなり、ステージの上で戦い、勝つことで全てが手に入る。それが正しい理論だとするのであれば、「仲間を得て強くなってしまった舞菜」はもはや庇護する対象でも守るべきだった仲間でもありません。
10話の碧音には、舞菜との決別という悲しみよりも強い気持ちが生まれてしまった、舞菜が強くなったのであれば、それはもちろん戦い、倒すべき相手になったということです。
7話で舞菜に再開したときに告げた「一緒にステージに立てて嬉しい」「私達はライバルね」「戦うのを楽しみにしている」の軽い文脈ではなく、真実の意味で舞菜をライバルとして認めた、そういった意味がこの11話での舞菜と戦うのが「本当に楽しみ」というセリフから読み取れないでしょうか?戦闘民族!

『OvertuRe:』という最強の楽曲を手に入れたKiRaReとそれを迎え撃つ王者ステラマリスの対決、本当に楽しみになってきましたね!

第12話 「これが、私たちの」

さて最終話、東京予選決勝戦です。

この決勝戦の舞台にSWEET APPLEとかいうなんもかんも全然わかんない一切内面の描写がないユニット混じってるの結構好きなんですよね。
彼女たちも作中に描かれていないだけで夢を持って、いろいろ抱えてこの舞台に立っているだろうことが容易に想像できますし、SWEET APPLEだけでなく、この決勝戦は作中で描かれなかった沢山のユニットの夢の上に立っているということを匂わせるので…。

昼休み前、KiRaReとステラマリスの邂逅。
ライブ前に紗由が珊瑚を認めるの本当に良いですね。本来紗由はステラマリスがすごいユニットだってことを最初から知ってたはずなんだよな…。
舞菜と碧音の対話、会話の内容こそ宣戦布告で物騒ですが2人とも終始笑顔で会話をしてるのが本当に嬉しいんですよね。ここにきてようやく姉妹は過去と同じように、同じ気持ちで一緒のステージに立てたんだと思います。2人の道はKiRaReとステラマリスの2つに別れたとしても…。

緊張するKiRaReのメンバーとそれを支えるパートナーの図。

自信を失った瑞葉の過去を肯定するのはKiRaReの長谷川みいではなく、その過去を全て見てきた生徒会副会長の長谷川実としての視点からという表現を語尾の変化で表現するの素晴らしいですね。

一方声が出せなくなった過去の再現を恐れるかえを励ますのは香澄です。何故なら彼女も形こそ違えど自分の声を失ったという過去を乗り越えてきたから。過去と違うのは今は仲間がいるから。

そして舞菜と紗由は仲間によって変わることができた自分を自覚して、未来に挑みます。

この3組を通して内面描写から過去、現在、未来と視聴者を視点誘導してステージに持ってくる構成、期待が高まりますね。


そしてオルタンシア、SWEET APPLE、ステラマリスの3組はそれぞれの想いを持ってステージに挑みますがそのシーンはほぼカットされます。12話はKiRaReの物語、ここではあえて映すべきではないということでしょうか。

ステラマリスのアンコール、ライブこそカットされましたが、この常識的には考えられない観客の行動があれだけ完璧と描かれた8話のパフォーマンスを超えている凄まじさを語ります。

そして帰り始める観客たち。香澄が「ボクたちには興味ないってこと?」紗由母が「何帰ってんのよ!」と過去に自分が言ったセリフでKiRaReを肯定するの、KiRaReのステージを見ることで人は変われることの証明なんだよな…。

そして岬珊瑚です。
瑠夏と碧音はこのアニメを通してほぼ他人に対して自分の要望や気持ちをステージ外で語っていません。これがステラマリスのスタンスだと思いますが、珊瑚はまだ本校アイドル部に染まっておらず、悪い言い方をすると未熟だから2人ほどそれが徹底できないんですよね。
今まで観客やKiRaReに対して余計なことを言ってきた未熟さが描写されていたからこそ、ここで違和感なく他人である観客・そしてKiRaReのステージにも余計なことができて、そしてそれが結果的にステラマリスの、碧音の「舞菜と戦いたい」という願いを叶えることにもなってるの、本当に美しいですよ。
紗由母がいくら観客を引き止めても効果はありませんでしたが、岬珊瑚は引き止められるんです。何故ならステラマリスにはそれができる実力があるし、ステージの上のアイドルは全てを手に入れることができるからです。

そしてライブシーン、「OvertuRe:」です。
帰りかけた観客がまたステージの方を向き、改めてステージに向き合う行為とOvertuRe:の歌詞である過去を乗り越えてまたステージに立つRe:ステージの文脈がシンクロするの本当に天才ですよ…。
人は変わることができる、その文脈はもはや人の領域を超えて曲のアレンジにまで到達します、神か?
観客が帰ってきてKiRaReの6人の夢が重なり間奏で会場全体が一瞬だけ黄色に染まり、そしてまた別々の夢である個人の色の輝きの集合になるの本当に美しい、常に赤一色のステラマリスとの対比…。

そして間奏後、11話で省略されたCメロに突入します。
「心の本棚その奥の方ずっと見ないふりして隠していた」の歌詞で画面が碧音にフォーカスします。碧音が表に出さずに隠していた感情、舞菜との決別に対して、そして過去に舞菜と共に過ごした夢の日々に対する感情ですね。
このステージを通して舞菜がモノローグを通して碧音に語りかけるセリフの内容は10話で直接碧音に伝えたセリフとそこまで変わりません。
でも今の碧音でなく、過去の感情に向き合っている碧音にはそれは違った意味をもって伝わり、過去の舞菜を想い、そして決別を改めて自覚して呼び名をまーちゃんから改めて舞菜に変え、涙を流すんですよね。
そして今の碧音には、その碧音を支えることができる仲間がいる。
だから曲が終わった後碧音は前を向いて笑うことができる、本来はステラマリスにないKiRaReの文脈で、でもそれが完璧なんですよね。

このライブを通じて本来勝ち負けに最もこだわるべきであるライバルユニットたちが、KiRaReが前に進むことを祈るの、視聴者、観客、そして審査員の代弁だ…。

予選終了後、敗北を自覚して改めて涙を流しながら前を向く6人、美しいですね。
ここまでしっかり過去を乗り越える描写を丁寧に描いてきたからこそ、そしてその素晴らしさ、美しさを歌い続けてきたからこそこの敗北を塗り替えてまた前を向くことができるんですよね。

そして予選突破の報と共に挿入歌兼ED曲として流れる367days、過去の肯定が未来につながって今があること、そしてその未来への夢、改めて再び立つプリズムステージの舞台の絵で、歌詞は「いまここがキミとあの日夢見たスタートライン」なのRe:ステージドリームデイズのタイトル回収としてあまりにも完璧…。
終わりはそう今始まりへと変わるんだよな…。

おわりに

さてこんな感じで12話すべて改めて振り返ってみましたが、本当にオタク(一人称)話が長いですね!
全部読んでくれたならありがとうございます。
わからない部分を妄想で補完した考察も多々ありますし、ぼくが書ききれなかった、ぼくが気がついていない描写もたくさん有るかと思うのでみなさんも何回もアニメを見て1周目の視聴で見つけられなかった描写や自分なりの解釈を見つけたり妄想してこじつけてもらえれば楽しいと思います。

楽曲とかゲームとかライブとか、アニメ以外にもいろいろ語りたいことは尽きない作品なので、アニメが気に入った人は是非他のメディアミックスにも触れてみると楽しいと思います。
特にKiRaRe以外のチームはアニメでは描写が薄味なので是非楽曲やゲームに触れていただけると!特にゲームで描かれるアニメ後のステラマリスの変化は是非見て欲しい…。

ではでは~