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プロセカ『隣に立つ、優しいあなたへ』感想・読解みたいなやつ

『隣に立つ、優しいあなたへ』感想・読解書くぞ!

雑感

第一感としては「すげーイベストきたな…」という感想で、というのもここまでプロセカのイベストって2キャラをつなぐ想いを描いたときに基本的には一方通行とまではいわないにしても自分だけの相手への想い×2が交差するストーリーを描いてきたと思っています。端的に言うなら2人の共感だったり相手に影響を受けること・影響を与えることを描くときも根本的に同じ方向を向いていても「私の想いは他人に侵されない」を大事にしてきた作品だと思っているので。それに反して今回のイベストはその枠の中でもかなり2人の想いが通じ合っている方だな…という感覚があります。とはいえ共感はレオニの領域といえばまあそうですし、今回のイベスト自体「想いに応える」がメインのテーマではありますからね。この構成自体もまあまあ珍しいなという感じではありますが、そういう関係性がまずユニットの中でなく越境の組み合わせできたことにもかなりの意外性がありましたね。

奏と穂波をつなぐ「優しさ」について

今回のイベント、終始かなほなイチャついてたな…という感想が第一で何を読解していこうか迷うところではありますが、とりあえず奏と穂波をつなぐ共通点であり2人がお互いをリスペクトしている要因、今回のイベントストーリーのタイトルにもなっている「優しさ」から見ていきましょうか。

奏と穂波の優しさとは何かというとこれは一般的な優しさの意味というよりは純粋に「他人を助けようという気持ち・行動」であることに異論はないでしょう。奏の「たくさんの人を自分の音楽で幸せにしたい」穂波の「どんな友達も裏切りたくない・力になりたい」はメインストーリーからずっと描かれている題材であり、そこには共通項として「たくさんの人を助けたい」があります。
しかしここを深掘りしていくと、2人の想いの根幹には少し違いがあるでしょう。

穂波の優しさは、昔からの友人も今の友人も等しく大切にしたいというような博愛精神からきています。メインストーリーでの穂波は他人の意志を汲みすぎるあまり自分の優しさを抑圧するという人付き合いをしてきましたが、その後のイベントストーリーではむしろその気持ちを積極的に表に出す「他人に向けた優しさを抑圧しない」を描いていると思います。助けを否定する志歩の意志を無視して強引に助けにいった『揺るがぬ想い、今言葉にして』(2021/11/11~)なんかはこのイベントの構図に近いんじゃないでしょうか。

本当に、ただのおせっかいなんですけどね

反面、奏の「音楽によってたくさんの人を救いたい」という願いは、自分の音楽が父親を追い込んでしまったという後悔と、父親が最後に残した想いを引き継いだものであり、奏の中心にある想い、家族への想い・そしてまふゆを救いたいという想いという「特定の人に向けた優しさを多くの人に向けて広げる」という過程で作られたもの…という観点で見ると同じ優しさでもそれを誰に向けるかという部分には差異があります。

今回のイベントストーリーでは周りの人に優しさを発揮する穂波と、奏のまふゆや父親に向けた優しさが周りの人には向いていない・向ける余裕がないという対比がキモになってきますね。お互いたくさんの人を助けようとしている2人ですが、今回はシンプルにまふゆを心配する奏を心配する穂波という単一対象の構図で見ていくのが読みやすいでしょう。

また、このイベストでえむが登場するのも良かったですね。えむも「たくさんの人を笑顔にしたい」という夢を持っており、そのために動いているという構図は奏の想いと通じるものがあるでしょう。ワンダショのイベストでは現在世界のステージを目指す仲間とフェニックステージに残るえむ、という構図が展開されていますが、このえむが具体的に自分の夢のために何をしているのかという部分はあまり描かれていませんでした。それがここで父親の会社を手伝い勉強しているという企画運営の「プロ」として努力している顔を見せたのはえむという天真爛漫で子供っぽいキャラクターとのギャップという意外性があって実によかったです。

じゃあえむちゃんって、もしかして鳳グループの娘さんなの!?(瑞希

えむが祖父の想いを継ぎ、父の仕事を継いでいるという構図を奏が父の夢を受け継いでいる姿と重ねてみるとまた一つこのイベントに深みが出たと思います。

さて、残る1人、瑞希がこのイベントに参加したストーリー構成上の意味とは何か考えてみましょう。それは当然穂波と同じく奏という仲間を心配する存在としてでしょう。喫茶店での穂波と瑞希の会話であったように、瑞希たちニーゴのメンバーの手の届かない部分を穂波が心配してくれて、そして穂波の見えない部分で奏をニーゴのメンバーたちが少しづつ変えているという会話には奏を支え・心配するもの同士としての良さがありました。

ボクが言うことじゃないけどさ、これからも奏のこと、よろしくね

直近のニーゴイベスト、『ボク達の生存逃走』(2023/04/30~)で過去の友人たちと向き合えなかった瑞希が、今回同じ趣味を持つ友人として穂波と仲良くなったのもいい話ではありますね。今回のイベント自体が気分転換というある意味「逃げ場」の中で答え(?)を見つけるというストーリーなのも『ボク達の生存逃走』からの流れを汲んでいてテクい構成だと思います。
瑞希はプロセカにおいて自意識と他人の否定をテーマに描かれてきたキャラクターであり、そういったキャラクターの純粋に仲間を心配しているという優しさを描くことがニーゴという居場所がくれたいい方向の変化として、奏にも重なるのかもしれませんね。

このイベントの『結婚』が描くものとは

このイベントは隣人への優しさがテーマではありますが、では結婚が意味するものは何でしょうか。
各キャラクターの優しさの話を前述しましたが、今回のイベストでは基本的には穂波→奏の優しさがストーリーではメインの軸になります。
穂波の優しさ、そして奏の欠落。奏の衣食住を補完するその役割は、奏が失った両親の代替であると言ってよいでしょう。
現在ニーゴのストーリーにおいて、奏の父は我を失っていますし、まふゆ母という「誤った親」という存在が描かれています。それに対比して「正しい親」の代替として奏を支え・心配し・導く無償の愛の姿を描いているのが奏にとっての穂波という存在ではないでしょうか。

そして結婚とは、家族となること。つまりこの結婚式体験によって疑似的に「奏という子供を支える正しい家族」として穂波の存在を描いている…とまで言い切ると流石に読みすぎかな、「両親との関係を失った子にも親と同じように同じような愛を注いでくれる友人・パートナーが現れる」くらいにしときましょうか、まあ読み方の方向性としては大きく外してはいないでしょう。

これを踏まえて改めて穂波→奏の行動を見ていきますと、「良かれと思って特に相手の趣味でないことを提案する」なんかはまふゆ母の親としての行動として対比していますし、「正しく体調不良を見抜いている」「息抜きの必要性を感じている」あたりは逆に正しさとしてまふゆ母とは違う行動を描いていると思います。

さて母性ともいえる穂波→奏の優しさですが、奏はその優しさにうまく応えられていません。

(宵崎さんに楽しんでほしいなと思ってたけど――逆に、気をつかわせちゃったみたい)(穂波)

これは、奏は穂波との関係を仕事上の関係として距離を置いているからという気持ちに加えて、奏の中にはまふゆや父親への想いが第一にあり「心配はしてくれても曲を作り続けることはやめることができない(からまた心配をかけ続けてしまう)」という申し訳なさ、親から子に与えられるような優しさにうまく応えることができない≒両親との関係を失っている。という現状を示しています。
親との関係、子供の方からも歩み寄りがないと成立しないみたいな話ではありますよね。

そしてこの関係が結婚式体験でのメインイベント、鐘を鳴らしにいくシーンで変わるわけですね。他人が身内になるのが結婚です。
みんなが自分のことを心配してくれるという想いをショーの中でしっかり受け止め、申し訳なさではなくきちんと応えたいとして、奏は動きます。
作中でも説明があったように、1つ目の鐘は自分たちに祝福と感謝を込めて、つまり穂波と奏です。穂波の優しさ・心配に応えることと奏がちゃんと自分自身を大事にするということで、この2つは同じ意味なんですよね。う~んこの構図は素直に上手い。

(――感謝と祝福の鐘の音……。この綺麗な音が、宵崎さんにちゃんと届いて、本当に良かった)

3回目の鐘はきてくれたみんなに向けて、えむと瑞希ですね。曲作りを第一にして回りに目を向ける余裕がなかった奏が、ほんの少しだけ周りにも目を向ける余裕ができたという話がこのイベントストーリーのキモでしょう。

2回目の鐘は両親に向けて、まだ奏は両親と向き合うには早いでしょう、だからこそここは瑞希とえむが変わりに鳴らすという意味合いとなっています。うーんどエモいな。瑞希が辛い時代に逃げ場を与えてくれた両親に・えむの夢を共に歩んでくれる両親に…感謝。

そんなこんなで帰宅後エピローグ。
穂波の疲れを見て休憩を提案する奏のシーン。穂波を慮るのも、一緒に自分が休憩するのも、このイベント前の曲作りに追われて焦っていた奏にはできなかった提案と考えると本当に良いシーンだと思いますし、穂波が奏を休憩させようとしたシーンとの反転対比でもあります。穂波のように他人を想い、花を贈る。その優しさこそが、まふゆや父親を救う曲作りにもつながっていくのではないでしょうか。

共に食事を作るシーンもいいですよね、家族を失った奏にとって暖かい家庭のメタファーであり、新しい関係・家族の呪いからの脱却、結婚式は両親からの独り立ちという意味合いもあるのかもしれません。隣に立つ、優しいあなたへ。そんな感じでどうでしょうか。

(――これからも、そばで支えていきたいな)

おわりに

いや~真面目に内容の話してたけどこのイベント突然のプロポーズが多すぎるだろどうなってんだよびっくりするだろうがよ。
穂波が奏の両親と対比してるって視点、実は記事書きながら思いついたんですが結構面白い読解なんじゃないでしょうか。いかかがでしたか?(いかがでしたかブログ)

おわりだよ~。