なんもわからん

さっき作った

TV版みてないけど『劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ』(2018)を見たよ!(ネタバレ感想)

『劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ』を見た!いまさら?
面白かったので感想書きたいけどめっちゃネタバレやしクソ長くなりそうだからTwitterじゃなくてブログにします。
2016アニメの再編劇場版のネタバレ配慮する必要ある?


というわけでこの映画は2016アニメであるTV版マクロスΔのシナリオを再構築し一部変更・新シーン追加・再撮影して2018年に公開されたやつらしいです、Wikipediaさんが言ってた。
ぼくはTV版を見てないので違いはわかりませんが…。
TV版は放映時に1話は見たはずなんですけどノレなかったのかほとんど記憶にないですね…。
新作劇場版(『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』)が3日前(2021/10/8)公開でオタクが盛り上がってるので見たいな~と思ったんですけどせめて前作映画は絶対見とけ!って言われたので見た感じです。
今劇場版公開セールということで各種配信サイトで100円で見れるのがうれしいですね、ファスト履修最高!みたいなノリで軽い気持ちで見たらすげー良くて打ちのめされました。オタクはナメた視聴態度でアニメに挑んで完全敗北するのが好き。


見てないオタクは一緒に見ましょう。お前も風にならないか?
Amazon.co.jp: 劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレを観る | Prime Video

前置きはこんくらいにして感想書きます、めちゃくちゃネタバレするので適当に改行入れとくぜ!











劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ 感想

いや~~~~本当に良かったね、見てる途中は普通に楽しくて見終わったあと各シーンがあとから繋がってくる感じ…。
この作品のキモってやっぱりラストにロイドとキースが最期に子供時代に共に空を飛んだ記憶を回想するところだと思ってるんですよね。
空を飛ぶ行為、つまりこれは戦闘機のメタファーなんですけどこれが「歌は兵器でも道具でもない」みたいな話との対比になるんですよね。戦闘機というか飛行機に兵器・道具としての側面だけでない平和な喜びを作り出す一面があったという。
ここがあるからこそ直前の飛びながら歌いはじめたワルキューレたちとキースたち歌を聴きながら空を飛ぶ兵士たちが完全に同格の存在となり「ワルキューレと風を合わせる!」に繋がり本当に輝くんですよね。空を飛ぶ=ウィンダミアの風を感じる行為と新統合の空気の振動である音・歌っていうのも性質として近くてバチバチに決まってる。
それを考えると空気を介さない遠隔でのウィンダミアの風の歌はダメなんですよね…とまで考えると読み過ぎかな、ワルキューレ側もネット配信やっとるし…。

共に空を飛ぶ行為自体が最上位の絆として描かれているからこそキースが笑いながらメッサ―と戦うシーンが不気味な敵としてのポジションから相互理解可能な種族としての解釈に反転するのもいい…。ロイドの操る機体に一瞬で気が付くキースは昔のままなんだよな…。序盤でハヤテがフレイアと楽しそうに飛ぶ・飛びながら歌うシーンも同じなんですよね、最初に空を飛ぶ楽しさを知る人間とワルキューレに憧れ歌うウィンダミア人の構図が既にあるの、完敗や…。
この解釈が効くとラストでハヤテとミラージュが共に飛び戦うシーンが三角関係の結論として本当に美しい気がしてきませんか?恋愛よりも上と見ていいかもしれないんですよこの作品における飛行という行為の持つ意味は…。誕生日のシーンでハヤテがフレイアへの気持ちを語るシーンでもありましたけど、これは恋愛に到達しない未熟さ幼稚さではあるんですけどそれはむしろ幼稚性としての要素が重要で、ラストのキモである「幼少期の輝き」に繋がるんですよね、
つまり子供のように飛ぶハヤテやキース、大人になれない・婚姻から逃げてきた・成人直前≒人間から見ればまだまだ子供なフレイア、まだ存在として子供な・子供時代が存在しない・今まさに人間性・輝きの獲得という成長期に突入しているミクモ…彼ら子供の理屈が大人の理屈である戦争を止め、物語の解決をしていくのに繋がっていくんですよ。このへんは何も子供たちに限った話でなく、オリジン・原体験としての要素が重要で、たとえばメッサ―の過去であったりワルキューレたちの過去であったりとでその辺が劇場版の限られた尺だろうにしっかり描かれていたのが本当にうれしい…雪(ウィンダミアの象徴)の中で今絆を育むハヤテ・フレイアと同じく雪の中でかつて絆を育んだキースとロイドは同じなんだよな…。要素としては支配・生存(戦争)・兵器が大人のメソッドで自由・喜び(遊び)・歌(飛行)が子供のメソッドとして見るとわかりやすいですかね、本質的には同じなんですけど大人は手段を誤っている・誤らざるを得ないという形です。どちらかの立場でしかないわけでなく、誰しもが大人と子供としての立場と感情を持っているものとして描かれているのが本当に良い、例えば「歌ってくれ、カナメさん」が兵士として戦うためでありながら、そしてファンとして、恩人へのセリフでもあるの、本当に辛く美しいですよ。

ウィンダミアというかロイドの戦争の目的である生命の合一化にも根幹に永遠、つまりキースとの楽しかった頃の思い出、その一体感があるの良かったね。結局マクロスΔは誰もが共に生きたいことを願った話というのは徹底してるんですよね、仲間と共に生きるのに必要なのは「支配」でなく「自由」だったっていう話で。フレイアの本番でないと真の実力が発揮できないくだりであったり、ミクモが自分の意思で居場所を決めることであったり歌にも支配の歌と自由の歌の側面は描かれてるんですよね。やっぱり戦争の中で歌いたいから歌う楽しいから歌うみたいな文脈って何言ってんだコイツ真面目に戦えみたいに言われると思うんですけどそもそも戦争の根幹に明確に「自由」の原初の正しさ・輝きがあったのは本当にうれしいですよ。新人歓迎会で意味なくみんなで歌い始めるのも正しいんですよ、人々を助けるための・戦争のためのワルキューレの歌だけじゃない、歓迎会であったり誕生日であったりのただ純粋な内からの欲求による自由な仲間との歌があったからこそこの作品におけるワルキューレの「私は歌が好き」「私はあなたたちと歌いたい」に異種族の相互理解と戦争を止めるに足る意味があるんですね…。いやほんと無駄なシーンないなこれ…。


とまあそんな感じで、歌の話だと思ったけど戦闘機の自由さとも重ねた話でもあったのがやっぱ良くて唸りましたね。
元が2クールアニメとは思えないくらい本当にきれいにまとまったいい劇場版でした。
たぶん何度か見れば新しい発見ありそうだし歌詞解釈とかもばちこりやりたいですけどとりあえず初見感想としてはこんな感じで終わりにしとこうかな。

とりあえずTV版見ようかな!新作劇場版も楽しみ!俺この仕事終わったら新作劇場版見るんだ…。