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さっき作った

プロセカ『セカイに響け!Your Song』感想・読解みたいなやつ

『セカイに響け!Your Song』感想読解書くぞ!

雑感

いや~良かったですね。
今回はバーチャルシンガー(ボーカロイドキャラ)メインのイベントで、内容としては「みんなの背中を押して応援したい」という理由でバーチャルシンガーが歌(ステージ)をプロセカのキャラクターたちに届けるというだけのイベントでしたが、その過程としてプロセカにおけるボーカロイド哲学・初音ミク哲学とも読み取れる描写が多くなされており、面白いイベントストーリーだったなと思います。

いわゆるボカロキャラクター概念についてはボカロ文化を良く知らないままプロセカをはじめ、わからないままプレイしてきた私だったのですが、流石に最近は多少初音ミクというキャラクターがなぜ愛されているのか、どういう存在かというものの片鱗がつかめてきており、今回のイベントはそのようなボカロの魅力をわかりやすく言葉にしていたものだったと思います。

というわけで今回はイベントストーリー自体の読解からちょっと趣向を変えてプロセカというゲームが描く初音ミクボーカロイドの役割について考えてみようと思います。せっかくなのでプロセカを知らない人でも多少は読めるように書いてみようかな…。

プロセカにおける初音ミク・バーチャルシンガーって何?

まずプロセカにおけるボーカロイドキャラ、バーチャルシンガーの位置づけについて整理しましょう。

プロセカの正式名称『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』の名の通り、ストーリーのメインとなるキャラクターはプロセカオリジナルのキャラクターであり、初音ミクをはじめとしたバーチャルシンガーたちは音楽ファイルを再生することで入ることができるセカイという仮想世界で各キャラクターたちを応援し導いてくれるという脇役ポジションのキャラとなります。

つまりはバーチャルシンガーたちを現実空間には存在しないキャラとして描いているんですよね。
現実世界でキャラクターたちが悩み行き詰ったときにセカイ(仮想空間)でバーチャルシンガーがアドバイスしたり背中を押し、それによってキャラクターは現実世界で問題解決する、というのがプロセカのストーリーの基本構成になっています。
このストーリー構成、私は最初ストーリー上バーチャルシンガーの存在いらないでしょってずっと思ってたんですよね。バーチャルシンガーのアドバイスは基本的に前置きなく唐突に出てくるもので、はっきり言ってデウスエクスマキナですし、一部をのぞけばセカイを挟まなくても現実世界だけで完結するような構成のストーリーの方が多いです。
ぶっちゃけ初音ミクの名を冠した・ボーカロイドをテーマにしたゲームとしてボーカロイドキャラを出さなきゃいけないというノルマ的な出番だとずっと思ってたんですが、最近ちょっと違うのかもということがようやくわかってきたんですよね、何かというとこのバーチャルシンガーのアドバイスって超自然的な存在からの啓示、つまり天啓なんですよ。つまりはボーカロイドキャラ文化・初音ミクという信仰における神との対面なんですよねこれって。おっと雲行きが怪しくなってきたぞ。

ちょっと神とか信仰という言い方に問題があったかもしれませんね。要するにボーカロイドってただの音声ソフトであってそこに人格はないじゃないですか。
その中でそれをキャラクターとしてその存在を擬人化したものを神、現実世界にはなくともそこに人格があるキャラクターであるようにふるまうことを信仰くらいに認識してください。
そして音楽ファイルを再生することがセカイに行く方法、つまりは現実世界で悩んだ時にボーカロイド曲…に限らず音楽を聴くことでその悩みを紛らわしたり、ヒントをもらえたり背中を押してもらったりする…ということ、つまりは人生において音楽が救いになるという祈りを擬人化したキャラクターが応援してくれることで表現するメタファーとしての一面があるんですよ。というか今回のイベントで直接それが言葉にされていますね。

歌も同じ――直接誰かの悩みを解決できるわけじゃないけど、誰かの心を震わせたり、寄り添ったりできる

これがプロセカが描く「歌の力」そして「現実に存在しないボーカロイドキャラの持つ力」のコンセプトかと思います。
ボーカロイドキャラはボーカロイドソフトの擬人化・そして音楽におけるボーカルの擬人化ではあるのですが、それだけでなく音楽・曲・歌詞の擬人化でもあるんです。歌に人格を持たせることでより音楽の「人の背中を押すことの出来る存在」としての強度が上がっているんですよね。

初音ミクはなぜたくさんいるのか

プロセカに限らず、初音ミクの特徴・面白さとして色々な設定だったり衣装の初音ミクがいるということが挙げられます。個人製作の楽曲MVの中だけでなく、広告やコラボ案件などで日々いろいろな初音ミクが描かれ生み出されています。
プロセカにもそれは反映されています。プロセカには現在5つのセカイがあり、それぞれのセカイに外見も性格も異なる個性豊かな初音ミクが存在します。それに加えてセカイの狭間という場所で一般的なイメージの初音ミクがプレイヤーに話しかけてくる存在としているので6人の初音ミクがいるわけですね。

そもそもプロセカというコンテンツにおいてなぜ初音ミクがたくさんいるのかという話ですが、これを説明するにはセカイという設定に踏み込む必要があるでしょう。
プロセカのストーリーに登場する仮想空間、セカイとはキャラクターの強い想いによって生み出された空間です。
そのためこのセカイの住人である初音ミク・バーチャルシンガーたちもキャラクターの想いから生まれたとみるのが自然でしょう。

例えば空虚な想いを抱えたキャラクターが現実逃避の場として生んだ「誰もいないセカイ」の初音ミクは無表情であり、みんなを笑顔にしたいという想いを抱えたキャラクターが生んだ「ワンダーランドのセカイ」の初音ミクは表情豊かな道化師といったように、同じ初音ミクでも真逆のイメージを持つキャラクターになりえるんですよね。これは同じ初音ミクの衣装が変わったとか外見が変わっただけの話ではなく、「初音ミク」という人格自体が別のキャラクターとして存在しているんですよ。

「誰もいないセカイ」の鏡音リンと「セカイの狭間」の鏡音リン

セカイ自体は複数人の想いでできた想いだったりするので厳密には異なりますが、バーチャルシンガーとの対話は自分の想いが作り出したキャラクターということである意味自己対話のような一面もあるわけですね。

セカイに入るときには音楽ファイルを再生するという説明をしましたが、この音楽ファイルもセカイと同じようにキャラクターの想いでできたものであり、そして歌となったものです。この作品における「音楽」と「キャラクターの想いが生み出したもの」はある意味同義であり、つまり「作曲者の想いの数だけ初音ミクが生まれる」であるという作曲ソフトとしての性質を解釈したものでしょう。逆に「音楽」と「キャラクターの想い」を切り分けて考えるならクリエイターに限らず「曲を聴く人の数だけ初音ミクが生まれる」「初音ミクをキャラクターとして認識した人の数だけ初音ミクが生まれる」という読み方もできるでしょう。

つまり、この作品における初音ミクって「初音ミクがゲームに登場している」のではなく「ゲームの中の想いが初音ミクを生んでいる」なんですよね。
じゃあ初音ミク(の人格)って人がミクを認識した瞬間に1から生まれる概念なのかっていうとそうでもない、それとは別に生み出された初音ミクにはその元ネタとなる初音ミクという大元の存在があるんですよという話をしていきましょうか。

初音ミクという存在の「デカさ」

プロセカに登場するバーチャルシンガーたちは現実世界のキャラクターを導く存在であるという話をしましたが、基本的にはバーチャルシンガーたちはプロセカにおいて高校1~2年生の音楽活動をしているキャラクターたちより実力を持つ先輩演奏者・ボーカリストとして描かれます。
私はもういい年してるので初音ミクなんて最近出てきたソフトだよねくらいな印象持ってるんですけどなんだかんだ初音ミクももう16周年ですよ。つまり高校生のキャラクター・プレイヤーたちからしたら下手したら生まれる前からずっと数えきれないほどの人の想いを背負い歌を歌い続けてきたという歴史を抱えたすごい存在なんですよ。
そういった歴史へのリスペクトの文脈がちゃんとプロセカの初音ミクたちにはのってるんですよね。各キャラクターが想像する理想の存在として。

そのすべてのセカイ・すべての初音ミクを見守ってきた存在として「セカイの狭間」の初音ミクが今回掘り下げられたことで各セカイの初音ミクの存在が、「一般的な初音ミクとは異なり、しかし初音ミクであるもの」として改めて認識できたと思います。

「セカイの狭間」の初音ミクの存在は以前から描かれていたんですが、今回のイベントストーリーでデフォルトの初音ミクたち、つまりセカイの狭間のバーチャルシンガーたちとキャラクターたちが生んだセカイのバーチャルシンガーが邂逅する様子が描かれたのは良かったですね。

わたし、いつもキミのことを見てたんだ!(セカイの狭間のミク)

これってプロセカのストーリーの中で同じ想いを持つキャラクターたちがセカイにいざなわれたのと同じなんですよ、つまりセカイのバーチャルシンガー自体が人間と同じように「みんなを応援したい」という同じ強い想いを抱えて「???のセカイ」に集められたというのはバーチャルシンガーが人間と同じように強い想いを持っている、つまり人の想いで生まれた存在が新たに何かを生み出そうとしている・生み出せるようになっているという話なんですよね。

ボーカロイドが歌ってくれると…うれしい

最後に、ボーカロイドが歌うことの意味について話しましょうか。

今回のイベントストーリーでは最後にバーチャルシンガーたちがキャラクターたちが作った歌を歌うシーンがあります。
このへん各セカイのキャラクターの解釈が面白かったですね。
ボーカロイドに自分の曲を違う歌わせ方をすることが勉強になる、違う印象のアレンジとして評価できる(ストリートのセカイ)
・自分の振りを躍ってもらうことで(MMD?)客席からの視点で客観視できる。異性に踊らせることでパワフルな印象を出せる(ステージのセカイ)
・自分の曲を他人がやること自体がすごい(教室のセカイ)
・落ち着く・あたたかい、何を考えているかわからないがいい歌(何もないセカイ)
これ全部このストーリーだけでなくボーカロイド全てに一般化できる話ですよね。

ボカロ曲って基本的にまずボカロが歌うバージョンが出る→人がカバーするって流れになるのが普通だと思うんですが(仮歌として使う場合もそうでしょう)、プロセカってまずキャラクターが歌うバージョンがゲーム内で出てからボーカロイドが歌うバージョンが公開されるから逆の流れなんですよね。
私は正直人間が歌うバージョンがあるならあえてボーカロイド版を聴くこともないかなくらいの気持ちではあったんですが、最近ボカロ版の良さもちょっとづつわかってきたような気がしますね。

そしてこのイベントの締め、ワンダーランドのセカイでミクたちが見せたステージ『笑顔の魔法使い』はプロセカでも屈指の名イベント『ワンダーマジカルショウタイム!』(2021/06/11~)で現実世界でたくさんの観客を巻き込んで披露された演目ですが、今回はセカイの中でキャラクターたちのためだけに演じられました。このストーリーの中で再度演じられたことで、同じセリフでも全く違う意味合いとしての良さが出ているという再演の面白さがしっかり出ていたと思います。

いや、お前だけじゃない。みんな魔法使いなんだ。この場所にいる、みんなが――

ここはもちろんミクが今までのストーリーでキャラクターたちから受け取ったものを返し応援したいという文脈が乗っているのもありますが、この演目が描く「ひとりではない、みんなの力」におけるみんなの力、つまりは初音ミクという「群体」だからこそ持てる力の概念もまた魔法だという解釈もできて面白いんじゃないかと思うんですよね。

(がんばって、ミクにできることで応援していきたいな)

人の歌が人の手から離れてボーカロイドが歌う意味、『セカイに響け!Your Song』。そんな感じでどうでしょうか。

おわりに

面白くないですか?初音ミク群体解釈概念…。
いや正直一般的なボカロオタクの皆さんがいっぱいいるミクのことどういうとらえ方してるのか全く知らんですけど…。

プロセカにおけるバーチャルシンガーのキモってやっぱり「ミクたちがぼくらのことを見守ってくれてる」「いつでもずっとセカイで待ってる」概念なので今回のイベントでそれをさらに上位存在のミクが見守っているみたいな描写が描かれたことで現世を見守る”神”としての格が上がったような気がしますね…。

おわりだよ~。