プロセカ『イミシブル・ディスコード』感想・読解みたいなやつ
イミシブル・ディスコード感想書くぞ!
明日、3月21日15:00より
— プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク【プロセカ】 (@pj_sekai) 2023年3月20日
イベント『イミシブル・ディスコード』を開催📞
母親に見張られ、ニーゴの活動が制限されつつあるまふゆ。奏はそんなまふゆのために自分ができることをしようと考え、意欲的に曲を作り続けていた。そんな矢先、謎の人物からメッセージが届いて——。#プロセカ pic.twitter.com/MvU4Duaz8U
いや~、この告知ツイきた瞬間おっついにまふゆ母と奏と決戦だなって思ったんですが、冷静に考えたら別に謎の人物がまふゆ母って書いてないんですよね。
まあ奏にこんな顔させるなんてそれしかないなという感じで…。
プロセカが描く「親」と「子」の関係
というわけで実際まふゆ母との決戦だったわけですが、このイベントストーリーってプレイヤーの情報的には特に何かがわかったとかまふゆ母とまふゆの関係が解決したとかはないんですよね。
満を持して登場したラスボス、まふゆ母がああなのは今までも語られてますし、特にまふゆ側の何かが解決したわけでもないですし、絵名と瑞希は話し相手にしかなれないですし、ニゴカイの怒りにまふゆは応えられないですし、奏とまふゆ母との対話は結局平行線ですし、基本的には今後に期待という感じではあるんですが、奏の覚悟が決まったぜという感じですね。
話を一気に遡らせまして、プロセカってまふゆ母に限らず「親が子の活動を否定する」の話をイベントストーリーで繰り返しやってた時期あったじゃないですか。1年目に。冬弥絵名えむとかが一気に連続してたんだったかな。そこで親子の関係を完全に改善させずせいぜい「ほんの少しだけの親の理解が得られたような気がする」程度にとどめてひたすら子供側の自己認識の改善に留めていたのがすごく印象的だったんですよね。創作的に考えるなら親子関係バシッと解決させちゃった方がオチとしては絶対ハッピーエンドですからね。
これ、プロセカがZ世代に、もっというならキャラクターたちと同じく親との関係に苦しんでいる世代に向けて、「親と和解できずともあなたは変われる」というメッセージを込めているというか、もっというなら「親との関係が全てではないよ」というリアルさというかぶっちゃければ「クソ親はクソ親だから創作のようなきれいなハッピーエンドにはならんしこじれたままで生きていくしかねえしどうしようもない」みたいな子たちへの救いになるようなストーリーとして描いているのかな~なんてことを当時考えていたのを覚えています。こういう内省の話メインなのがこのゲームのシナリオの好きなところではある。
そういった意味で、今回のイベントストーリーが「まふゆ母との関係改善・解決」ではなく「奏(と絵名と瑞希)の覚悟」を描いていたのはプロセカらしいのかな、と思いましたね。まあ純粋に解決させなかったのは前後編イベントの前編的な印象もありますけど…。
まふゆの「嘘」とまふゆ母の「信頼」
朝比奈まふゆという1人の少女が苦しんでいるという事実がある以上まふゆ母のやり方は子供にとって完全に間違いではあったのですがという前提で、と念を押した上で子供たち視点のストーリー上で悪として描かれるまふゆ母、キャラクターとして本当に悪か?ってのは前から思ってはいたのですが、今回のイベストでその気持ちは強くなったというか、まふゆ視点で描かれるまふゆ母と客観的に見るまふゆ母、結構違うよなというのは感じましたね。
まふゆ母がまふゆのことを愛していない、とまで思っているプレイヤーは流石にいないと思います。
今まで私は、まふゆ母が子供に必要以上に高い理想を強制し、やりたいことを封じ込めてしまっていると考えていました。それもまあそれはそれで人間らしいというかその功名心は絵名に通じるところもあるしなとある程度同情的な立場で見てたのはあるんですけど、今回のイベストでそもそもその前提が間違っていたのでは?という疑いを持ち始めています。
そこにはこのイベントで描かれたまふゆの「嘘」…という言い方はあまりよくないな、ストレスからの逃避からくる「記憶の捏造」あるいは「認知の歪み」があります。
この両親に夜更かしを否定され落ち込むまふゆを責めるニゴカイに返したこのセリフ、真実でしょうか。
まふゆが両親に提案し論破されて否定されたのは「受験勉強のために夜更かしがしたい」という方便であって真実である「深夜にニーゴの活動がしたい」ではありません。
「音楽をやりたいっていうことも、伝えた」についても振り返ってみましょう。この話が出てきたのは2つ前のまふゆバナー『迷い子の手を引く、そのさきは』(2022/06/10~)です。
さてこの時まふゆは正しく自分の想いを両親に伝えていたでしょうか。この時まふゆが母親に伝えた音楽をしたい理由は「医者になる上で音楽療法が役立つかもしれないから音楽がやりたい」という「嘘」です。これも母親に届かず、それは受験のあとでいいと論破されてしまい、絶望したまふゆは音楽をやめることを母親に伝えます。
この時まふゆ母は本当にそれでよいのか確認して、まふゆは今は音楽より勉強の方が大事だと答えていて、このセリフをおそらくずっとまふゆ母は忘れていないんです。
いや、聞いてもらえなかった以前にお前母親に何も説明してねえじゃん!って話なんですよね。これだけの情報からまふゆ母がまふゆの音楽に対する想いも苦悩も汲み取るのは流石に無理がある。いや、まふゆにとってこの「音楽をやりたい」という提案がめちゃくちゃ勇気のいる話だったのは理解するが…。
まふゆの「いい子としての嘘」、もうストレスが限界で本人もどこまでが建前だったのか本音だったのかごっちゃになってきてる。
そう考えていくとまふゆが母親に見せる「いい子」の擬態が語る「まふゆの夢」、母親の理想の押し付けでも何でもなく「いい子」のまふゆ自身が作り上げてしまった理想でそれを母親に押し付けて縛ってるのはまふゆなんじゃないかとまで思えてくるんですよ。
まふゆが何故その「いい子」にこだわるかも『迷い子の手を引く、そのさきは』で描かれています。
幼少期に母親との約束を破り迷子になってしまったまふゆは、まふゆ母に約束を破るような「悪い子」になってはいけないと叱られます。この優しかった母が豹変する様子にまふゆは恐怖を覚え、いい子であろうと誓うわけでここがまふゆにとってのオリジンとなっているわけです。
まふゆは母親に対して活動について嘘を重ねていますしその嘘はどんどん破綻しつつありますが、まふゆ母はその言葉を嘘だと気が付きつつもまふゆの嘘にあわせて会話を続けています。まふゆも母親が嘘に気が付いていることに気が付いているのでめちゃくちゃ嫌味だし怖いなみたいな受け取り方をしておりまふゆを苦しめてるわけではあるんですが、これが母親にとってもどれだけストレスかっていう話なんですよね。逆にあれだけ嘘つかれても今なおまふゆの言う言い訳を「信じてる」んですよまふゆ母は。
キラキラと医者になる夢を語り精力的に勉強をしている「いい子」であるはずのまふゆが急に後ろめたい様子で自分に嘘をつきはじめていて、それが別のコミュニティの中で生まれたもので、しかもそのコミュニティの中でまふゆは全く元気がない様子で先に「勉強の方が大事だからやめる」と語った音楽を作っているって考えたらまあ悪い子に影響されて嫌々やらされてるんじゃないかとかいじめられてるんじゃないかなとまふゆ母が思うのも無理ないというか…。まふゆがちゃんと自分の想いを伝えられれば案外簡単に解決するんじゃねえかな、という意味ではニゴカイは母親にとっての救世主にもなりえるのかもしれませんね。
まふゆ母が説教してるの、だいたいまふゆが限界になって体調崩したり約束破ったり嘘がバレたときですし、あれもまたまふゆのいい子の仮面のように「汚れ役としての親の顔」の仮面なのかもしれませんね、とまでいくとまふゆ母の肩持ちすぎかな。繰り返すけどそれがまふゆを苦しめてるわけだしPC見るのもシンセ捨てるのも普通にライン越えではあるし…でも先に嘘ついてんのはまふゆだからなあ…(私は契約のオタクなので嘘に厳しい)。
さて……母親に怒られたくないから「いい子」であることを誓った結果こんなことになっているまふゆですが、現状の母親に隠れて音楽活動をしているまふゆも、それを誤魔化して嘘をついていい子として母親と会話するまふゆも正直「悪い子」で「親に叱られるべき」で「母親に恐怖していて」「相手を見ていない」んじゃあないですか?という感じで今後の展開に期待していきましょうか。立ち絵が今までなかったのもちゃんと母親見てないってことかもしれませんね。
ま~いうてまふゆの心はずっと幼少期の遊園地で止まってるからな~、あんま難しいこととか考えず弓道部で雫とドンパチワイワイキャッキャしてるのがお似合いの年頃ですよ(現実逃避)
奏の想いとまふゆ母の想いのすれ違い
さて追い込まれてるまふゆをあんまりプレイヤー視点からの正論でいじめてもしょうがないので奏視点の話でもしましょうか。プロセカは子供たちの気持ちと視点に寄り添うゲーム…。
まふゆ母のメッセージにあった「まふゆの夢のために勉強が必要」という言葉を受け、「まふゆの夢」のことを何も知らなかった奏は、まふゆのためにはどうするべきなのか悩みます。ここが冒頭の奏父との思い出「作曲という夢のためには勉強が必要なこともある」に重なるの良いですね。
まふゆが音楽をやりたいと母親に話して、でもそれを否定されたという叫びを受けて奏はまふゆ母と対話し、まふゆが音楽ができないことで苦しんでいることを伝えることを決意します。
……なのですが、先ほども書いたようにやめるように言われたのは夜更かし(とそれに伴うサークル活動)で、実際には母親は別にまふゆの音楽活動を否定していないんですよね。そもそも最初に勉強の方が大事だから音楽活動をやめると言い出したのはまふゆ自身で母親はその言葉を信じているので…。
プレイヤー的にはどっちのまふゆも知っているので奏の心情に寄りたくはなるのですが奏は「ニーゴのまふゆ」しか見ていない、「まふゆの夢」を知らないって話が出てきたのは結構面白くて、立場として「家での医者への夢を語り勉強を頑張っているまふゆ」しか見ていない「ニーゴでの悩みを抱えたまふゆ」を知らないまふゆ母とある意味同じ土俵としてフラットに見るとこのすれ違いが話づくりとしてとても面白い、まあ面白がるような内容ではないんですけど…。
繰り返しになりますが、まふゆ母は「まふゆが本気で医者になりたいという夢を持っている」というまふゆの言葉を信じており、そして「隠れてしている・させられている音楽活動がその夢を妨げており、まふゆを悩ませている」と確信しています。
奏はまふゆが本気で音楽活動をしたいと母親に正しく気持ちを伝えており、まふゆ母は苦しんでいるまふゆを見てきており、それを知ってなお音楽活動をやめて医者になるための勉強の方が重要であると迫ってきていると当然判断しているため、この人は子供の夢を真剣に聞いていない、親の勝手な夢を強制していると判断してしまうんですよね。
一方まふゆ母の側は大学に行く気もなく遊びで音楽をやっている友人がまふゆを深夜まで拘束して勉強の邪魔をしているという印象を持って奏に立ち向かっているわけで、そんな奏がめちゃくちゃ強い圧でまふゆの本気で医者になりたいという夢を説明したのにもかかわらずそれを無視して、「まふゆは苦しんでいる」「音楽をやらせてあげて欲しい」と再三繰り返しているわけで、「まふゆは音楽より勉強を優先したい」という言葉を覚えているまふゆ母はああこの子はやっぱりまふゆの夢を理解してはいないんだ、まふゆはこの圧に負けてサークルを抜けられないんだと確信を深めてしまい私がまふゆを助けなくてはならないという気持ちを強くしたのではないでしょうか。
家でのまふゆは母親に悩んでいる姿を見せていないですからね。奏がどれだけまふゆが苦しんでいるか伝えても誰よりも医者という夢に向かって真っすぐに勉強してきたまふゆを見てきたという自負があるまふゆ母にとって「私の見ていないところでまふゆが苦しんでいるのは私の助けが届かないサークルのせい・学校が原因だ」という印象にしかならない。
「この人はまふゆのことを見ていない」、という奏が感じたまふゆ母の冷たさの話ではあるんですけど、そりゃあまふゆ、ニーゴで奏に見せてるような自分を母親に見せてないですからね。実際に見てないからその指摘は的を射てるのが面白いですよね。
そんな誤解から生まれた2人のすれ違い、まふゆと2人のすれ違いと決別を指してImmiscible・交じり合わないとして、でもその根幹にある想いはまふゆを守りたい、まふゆの夢を応援したいと同じものであった、そんな読み方もまた面白いんじゃないかなという感じでどうでしょうか。
奏による「娘のことを見ていない親」の否定、奏父にも重なってしまうのでなんか奇麗にまとまってくれればよいかなと思います。
おわりに
記事書き始めたときにはこんなにまふゆ母の肩持つつもりはなかったんですがかなりまふゆ母に入れ込んだ内容になっちゃいましたね。
まあ仮にまふゆ母がいい人だろうと思い込みが激しくお節介の過干渉で無駄に行動力があって何か問題があったら理詰めの正論でネチネチ論破してくる恩着せがましい感じの相当めんどくさい人間なのはまあ…否定できないけど彼女の持つ愛にはちょっとくらい同情してあげてもいいんじゃないでしょうかみたいな感じで。
まふゆ母がどういう行動原理で動いていたかの印象が変わったって話、今までの情報でも到達できたはずではあるんですが、今回のイベントで立ち絵と声がついたことで改めて一人の「キャラクター」として見れるようになったのが大きいかもしれませんね。はやく名前も出して欲しい。