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さっき作った

プロセカ『一期一会な百鬼夜行!?』感想・読解みたいなやつ

『一期一会な百鬼夜行!?』感想読解書くぞ!

雑感

このイベント、類単体にフォーカスして読む上では新鮮味があるのですが、前イベからの流れを踏まえるとまだ友人関係の話続けるんだ?というのが第一感でしたね。
この「友人との関係」というテーマは前イベ『STEP by STEP!』の記事でも書きましたが、はモモジャンのキースト+モモジャンバナーの混合イベでずっとやられてきた話で、『STEP by STEP!』でNEXT演出やってひとまず一区切りつけて落ち着いたのかなと思っていたので…。
maisankawaii.hatenablog.com
読み味はかなり異なりますが、おおまかな内容として異常者(言い方)が一般の友人との関係を築くという形は『船出の前のワンデイトリップ』でやった話と大筋近いですしね…。
ただ、前記事でも触れたように、直近のモモジャンイベの流れで「雫にとっての友人関係」の話だけなしでNEXTしてしまったなとは思っていたのでこのイベントで雫と司の友人関係という過去が回収されたバランス感覚は律儀だなと感じました。

なんでしょう、3周年につなげたいテーマなんですかね、友人との日常…。結構このテーマをステージパフォーマンスに繋ぐの難しそうではありますけれど…。
改めて最近のイベントを考えるとモモジャンの「友人か仕事か」というテーマはニーゴ(というかまふゆ)のイベントが直近で続けている「仲間・サークル(友人)か学業か」に対応していますし『隣に立つ、優しいあなたへ』も「仕事の中で支えてくれる友人の存在」で結構近いテーマを描いていたと言えるのかもしれません。
そう考えるとワンダショのイベの目下の問題としてある「ワンダショか世界か」も友人(仲間)と仕事(夢)に対応してるといえばそうかもしれませんし、この辺がきれいに今イベの類の変化とつながったらアツいなと思います。
ビビバスレオニもこじつけようと思えばできそうですが、今のところは全ユニットでやってる話としてまとめるほどしっくりはこないですね…。あと2ヵ月でどうなるかといったところでしょうか。
とりあえず3周年予想の話はこのへんで置いておいて、今回のイベント自体を見ていきましょうか。

これまでの神代類について

今回のイベントは一言でいえば「類がショーを通さずに友人と過ごす楽しさを自覚する話」でしょう。

これまでの類バナーのイベントストーリーでは、ショーの中で自分の演出を受け入れてくれる人を描いてきました。
『全力!ワンダーハロウィン!』では類の全力の演出を受け止めてくれる司を、『Revival my dream』では類の演出を理解できなかったクラスメイトと受け入れてくれた仲間たちを、『白熱!神高応援団!』では類の演出に応えてくれた応援団たちを、『カーテンコールに惜別を』では類と共にショーをしたいと誘った旭を…といった形です。
類と彼らをつないだのはショーの中での演出家という役割でした。ショーは人と人との間に存在するどんな垣根をも越えてくれる、『Revival my dream』で描かれた類のオリジンであり、演出家としての夢であり、今までのイベントストーリーで類はそれを体現してきたと言えます。
ところで、『Revival my dream』で描かれたショーに出会う前の10年前の類のことを覚えているでしょうか。少年類は自分の好きなロボットや生物の話をしようとするも誰にも理解されないことに悩んでいました。

先生もクラスの子も、僕はみんなと違うって言うんだ

そんな類に、類の母親はかつて変人だった自分もロボット工学を研究する父親に出会えたことを「自分の好きなことを大事にしていけば、いつか類にもちゃんと仲間ができるよ」と語っています。
そして類はショーと出会い、同年代の寧々と共通の話題が出来、一緒に楽しみ楽しませることができたという成功体験を得るわけですが、そもそもその前に「ロボットの話が同年代の子に通じない」という悩みが描かれていたわけですね。

それを踏まえての今回のイベントです。類のクラスメイトの三宅くんが類と話をしたがった理由は「ガジェットが好きで類の作るドローンに興味があったから」なんですよね。10年という年月を経てクラスメイトたちの興味がちゃんと10年前の類に追いついているんですよ。演出家神代類ではなく、単純に機械が好きな友人、自分の好きなものの話が通じる相手としての存在があったんです。
その上で、三宅たちは最近まで類に声をかけない方がいいと判断していました。それは類自体がドローンで遊んでいるときに「ちょっとつまらなそうな顔をしていた」であり、この近寄りがたさは類自身にもロボットの話が通じる相手はいない・人から外れた存在である自分と他人を繋ぐことができるものはショーしかないという拒絶・諦めの気持ちがあったからではないでしょうか。

そんな類に三宅たちが声をかけられるようになったのは類が笑うようになったからです。その変化を与えてくれた司という存在を見ていきましょう。

天馬司が見せるショーについて

類が他人とつながるにはショーしかないという話をしてきましたが、このイベントの冒頭で描かれたように類自身の興味もショーにしか向いていませんでした。
修学旅行に乗り気でない類に司は修学旅行をショーに例えて楽しんでみたらどうだと提案します。

その、いつでもショーを愛する心は尊敬するが、たまにはそれ以外のことも楽しんでみたらどうだ?

これは類が他人を楽しませること、他人に理解される成功体験として体育祭の演出をはじめショーが唯一のものであったのと反対に、司は咲希をはじめとした友人たちを楽しませるためにこれまでショーだけでなくあらゆる手段を拾い上げ、友人たちと共に自分も学園生活や行事を楽しんできたという成功体験に裏打ちされたものでしょう。

この司の「どちらも楽しむ」性質は雫と司の過去エピソードからもうかがえます。
ごっこもかくれんぼのどちらかではなく、両方を盛り込んだショーをするという話です。
これを類に当てはめると、ショーだけでなく他の遊び・友人との関係・修学旅行も楽しんでみたらどうだという話ですね。

『Revival my dream』で描かれた幼少期の類は他の子たちの遊びを遮って自分のやりたい・子供に通じない大人びた遊びや話を押し付けてうまくいかなかったわけですが、今回の大富豪やら枕投げなど明らかに「ショーとは関係のない幼稚な遊び」をしているのは類が子供らしい・高校生らしい遊びに歩み寄った形であり、それを類が全力で楽しめているのはこの歩み寄りが友達作り・相互理解に必要だったものという話なんですよね。

だから……オレがどうこうじゃなく、お前自身の選択があって、今があるのだと思っているぞ

そういった意味で、最初に類に声をかけてきたのは三宅でしたが、エピローグの枕投げで類の方から三宅に声をかけて仲間に誘ったのも歩み寄りであり、対等なクラスメイトとしての友人関係で良かったと思います。
今回のイベントは”今”の神代類を描いたものではありますが、過去の類に足りなかったものは何だったかという幼少期のリベンジとして見るのも面白いのです。

この過去エピソードの対比は類と司の性質が色濃く出ていて良いですね。類は自分が拾い上げたものを他人に与えたい表現者で、司は他人が求めるものを拾い上げるタイプの表現者だと思うので…。

(……いや。そもそもの考えかたから違うのかもしれないな)

メインストーリーで強引に共演を阻む類を拾い上げた司も今思うと懐かしく、類らしさと司らしさが出ていた話だったと思います。

百鬼夜行パレードが描くものとは

さてこのイベントストーリーは類がショーから離れて友人との関係を築くエピソードだという話をしてきましたが、最後にそのイベントの中で描かれたショー、百鬼夜行パレードの話をしていきましょう。

百鬼夜行パレードははぐれてしまった類と雫が司たちに見つけてもらうために仮装をするという展開ですが、はぐれる前の芸能神社に向かう過程で類と雫に共通して描かれたエピソードとして自分の興味のあるものに引っ張られてはぐれかけ、司と愛莉に連れ戻されるという展開がありました。
この「はぐれた2人」「妖怪」は自分の興味のあるものに惹かれすぎ、普通の人から浮いてしまい対人関係の構築がうまくできなかった過去の類(とチアデ時代の雫)が司(愛莉)に見つけてもらえたことのメタファーであり、そして今回新しく結ばれた友人たちとの絆なわけですが、ショーと関係のない人間関係もいいよねという話をしてきたここで「人の輪に戻る」ための問題解決する手段がショーという展開はめちゃくちゃアツいです。

できれば僕は、今日のメンバーでフィナーレまで迎えたいと思うんです

やっぱり神代類にとって自分と人をつないでくれる(見つけてくれる)のはショーなんですよ。さらに変わらないメンバーでフィナーレまで、修学旅行のメンバーという意味だけでなくワンダショのメンバーにかける類の想いを乗せているのも上手いです。

ここで雫の仮装に必要だったものが羽織なのも完璧ですね。「衣装が雫を支えてくれる」「衣装による別人への変身」は雫のイベントストーリーで描かれてきた要素ですが、ここでそれを引き出すことを可能にしたのが演出家という類の役割なんですよね。雫の衣装と類の演出、どちらも今までのストーリーで共通して描かれたモチーフとして「魔法」があるのも良いです。

ていうか、あの女の子どこかで見たことあるような……?

今回のイベントストーリーのキモは「ショーと関係のない人間関係」だという話をしてきましたが、結局"今"の神代類にとってショーはその上でとても大きな存在で、しかし今回のイベントでの司の発言で「修学旅行」を一度きりの公演として「ショー」と同一視したことで、なんだかんだ「ショーがつないだ人間関係」でもあるように落とし込むことで類が修学旅行を楽しんでいたのは本当にいい話なんですよね。なぜならそれは類を支えてきたショーの否定にならない優しい世界で、そして類がショーに願う信頼、人と自分を繋いでくれる存在という頑なな夢と想いを損なわないもので…。

そういった意味で最後の記念撮影は類にとって修学旅行という一度きりの公演におけるカーテンコールのようなものだったのかもしれませんね。

――たまにはこういうのも、いいんじゃないかと思ったんだよ(類)

一度きりの公演、一度きりの修学旅行。一期一会な百鬼夜行、そんな感じでどうでしょうか。

おわりに

イベント読んでた時は細かい部分忘れてたんですが、改めて整理してみると『Revival my dream』の幼少期類との対比がバチバチに面白いイベントでしたね…。

ところで迷い子といえば当然今回影の薄かったまふゆですが

彼女は類や雫のように誰かに見つけてもらえるのでしょうか。
おわりだよ~。